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2023年3月10日金曜日

小説 霊園散歩 5





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 理絵と私が50歳になった年・2008年の11月の末に3泊4日の京都旅行に出たことがある。そしてそれが理絵にとっては最後の京都になった。
 東京の私立大学の日本文学科の学生だった頃、理絵は鴨長明に関する講義を半年間受けた。『方丈記』に関する研究では有名な教授で、講義自体も軽妙洒脱な話ぶりでとても面白かったのだという。人間的魅力にも溢れた教授だったらしい。その講義でしばしば見かけた同学年の女学生と言葉を交わすようになり、一緒に喫茶店で長時間話をするようになった。やがてその女学生は理絵の親友になったのである。京都出身の女学生で、理絵は彼女に案内される形で毎年京都を歩くようになったのだった、結婚したその親友が分娩時の脳出血によって28歳で死ぬ年まで。
 50歳記念の京都旅行では、理絵と私は京都の日野というところにある鴨長明方丈庵跡まで歩いた。もちろん方丈庵の遺構があるわけではなく、ただそこで鴨長明が暮らしたということを説明する石碑などが置かれているだけだった、ごくありふれた森の中に。
 行きも帰りも落ち葉を踏みしめる山道を歩き、ずっと理絵が鴨長明について説明してくれる言葉を聞いていた。方丈記自体も読み通したことのない私には、理絵の話は驚きの連続だった。そもそも、悟りすました男、といった印象しか持っていなかった鴨長明に結婚しようとした女性がいたり、あるいは際どい恋愛歌を幾つも詠んでいたり、詩歌管弦に優れたこの男が世間的には親族との争いに破れて社会的地位を得ることができず、そのために出家したということも理絵から初めて教えてもらったことだった。尾羽打ち枯らして大原を数年彷徨い、日野に移ってからは方丈庵に独り暮らして落ち着き、1212年に方丈記を書き上げた。
 800年ほど前にそこで一人の男が暮らしていた山の中の一画に、理絵と私は手を繋いで立っていた。他に人の気配はなく、50歳の私たちは時々立ち止まり、抱き合い、キスをしていた。耳元では微風の流れる弦の響きのような音がして、足元では枯れた落ち葉の崩れてゆく音が大勢の人々の声をひそめた囁きのように響いていた。
 理絵の唇は甘く、舌は熱かった。

「死ぬほんの1週間前には、『信じられないくらい、怖いくらい、わたしは幸せなんだって感じている』、そう電話で嬉しそうに話していたわ。そしてその1週間後、赤ちゃんを産んだ夜に死んでしまった‥‥生きているって、一瞬先は本当に闇なんだと思う」
 京都女子大のキャンパスの奥にある秀吉の墓に参るために、人気のない細い道や次々に現れる石段を理絵と私は二人だけでゆっくりと登っていた。そこもその親友がかつて理絵を案内してくれた場所なのだという。
「一瞬先が闇でもどうでもいいよ、俺は理絵とこうして歩いていられるならそれでいい」
「あら、たまには古女房にもステキなことを言ってくれるのね、普段はそんな嬉しい言葉を聞いたことはないけど」
「誰もいないから恥ずかしくないね、太閤様以外は誰も見ていない」
 私は理絵を抱き寄せた。
「そういえば、ネネにも子供はできなかったわね‥‥」
 私の胸の中で理絵はそう呟いた。


 父が死ぬ何年か前、家で私と二人きりになったときに、「理絵ちゃんが子供のできない身体だというのなら離婚は考えられないのか」と切り出されたことがあった。その時の父の暗い顔が、思い詰めたようなその顔の映像が高速で通り過ぎてゆく旗のように私の脳裏を飛んでいった。言下に「絶対に離婚などしない」と応えたし、そのことは理絵にはもちろん話したりはしなかった。ただ、それから二度と父は札幌の家の庭の手入れにやってくることはなかった。
 子供はできなかった。
 日本の10組に1組の夫婦には子供はいない。その1割の夫婦に含まれてはいても、理絵といることは幸せだった。理絵の京都の親友のように赤ちゃんを産んで死んでしまうこともある。そちらの方が私には恐ろしかった。24歳で理絵と結婚し、こうして50歳を迎えることができた。60歳となり80歳となり90歳まで一緒に生きられたなら、もうそれ以上望むものはない、そう思いながら豊臣秀吉の墓を見物した後に、登ってきた坂道を二人で降りていった。
「‥‥難波のことも夢のまた夢」
 私がそう呟くと、理絵がゆっくりと、こう言い直してくれた。
「露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
 感心して私は、ほーっ、と声をあげた。
「さすが国文科卒、無教養なバカ医者と違って君は何でも知っている」
「秀吉の辞世の句はとても有名」
「本能寺で死んだ織田信長の辞世も、ユメマボロシのどうとかっていう言葉だったような気がする」
「実際のものじゃないわ、信長が好んで舞ったという幸若舞という能の一種の中の言葉。
『ジンカン50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり』」
 それからちょっと間を置いてから理絵はこう続けた。
「『ひとたびしょう(生)を得て、滅せぬ者のあるべきか』」
 私は、他には誰もいない、おそらくは猫も猪もいないその夕闇の迫りつつあるその参道で、理絵を再び抱き寄せた。

 それからたった4年と2ヵ月後の2013年1月、理絵は当時私が勤務していた病院の10階の個室で息を引き取った。
 床に崩れ落ちた私の姿は、ハイデルベルグの嘆き男、そのものだった。


15
 8月26日木曜日の夜、家でDVDを見ていたらスマホが鳴った。
 取り上げ画面を見ると、
《 マーロン 》
 と表示されていた。あのジャンレノ髭の優しい男の顔が、幾つものショットとなって脳裏を流れていった、ほんの一瞬で。人間の脳の働きというものは不思議なものだとふと思いながら、通話のスイッチを押した。
「マーロン、なんだいこんな時間に。仕事ならちゃんと真面目にやってるよ」
 スピーカー機能を使って気楽な調子で話しだした私に応えた声は、しかし、疲れ果てたような女の声だった。
「スギちゃん、元気なの?‥‥」
 私は声を失った。
 どうしてマーロンの携帯から女の声が、それもかすかに聞き覚えのある声が流れてくるのだろう?
「‥‥誰?」
「わたしよ、ヒヤマ‥‥」
 ヒヤマ? ヒヤマがマーロンの携帯を使って私に電話を掛けてきている?
 ヒヤマとマーロンが一緒にそこにいるのだろうか、こんな夜に。ヒヤマとマーロンがそうした関係だとしたら、マーロンは愛する奥さんと離婚でもしたのか、それとも不倫なのか、いつからそうした関係なのか、私が移植病院で働いていたときから陰で不倫でも続けていたのか、マーロンと奥さんのは泥沼の喧嘩状態なのだろうか、いや先日札幌駅までちゃんと迎えに来ていたじゃないか奥さんは‥‥。
 頭は勝手な方向に動いていた。その勝手な動きを一瞬で凍りつかせたのは、ヒヤマの次のヒトコトだった。
「マーロンが死んだわ、月曜日の朝に」
 頭が空白になった。
 マーロンが‥‥死んだ?
 ヒヤマの疲れ切った声が単調にスピーカーから流れていた。
「身内だけで‥‥ほら、コロナの時代でしょう、本当に身内だけで、密葬を終わらせたわ。今日、里塚で火葬して家に戻ってきて、さっきまで死んだように寝てたの。でも、スギちゃんには連絡しておかなくちゃと思って‥‥マーロンは3年前から肺癌と闘っていたのよ」
「‥‥どうしてヒヤマが」
 やっと口をついて出た私の言葉に、ヒヤマは答えた。
「マーロンと私、結婚していたのよ3年前に。詳しい話は明日、会って話すわ。明日は仕事ないんでしょう? マーロンから預かっていて、スギちゃんに渡したいものもあるしね」
 なおも何かを訊ねようとする私に、
「ごめん、私本当に疲れているからもう寝させて。睡眠薬もさっき飲んだのよ。明日午後3時に会ったときに説明するからね」
 そう言うとヒヤマは電話を切った。


16
 27年ぶりに会ったヒヤマは、27年ぶんの魅力を身につけていた。今年は60歳になる「おばさん」のはずだったが、若い頃の魅力とは異なる、落ち着いた、表情の奥から優しく輝いているような雰囲気を持っていた。
 時の流れが残酷に作用し、難破船や廃墟のように朽ちてゆく女性の顔もあれば、時の流れがワインを熟成でもするかのように作用して、芳醇な存在を生み出すこともあるのだ。目の前の魅力的な女性の顔は、そうした作用によって新しく生まれたものだった。
 私は約束の3時よりも30分も前から待ち合わせのパン屋の喫茶室にやってきていた。コーヒーを飲みながら、マーロンが好きだったここのカヌレを3つも食べてしまった。そして約束の時間の10分前に、ヒヤマがやってきてコーヒーだけを注文した。
「さてと、何から話しましょうか?」
 そう言ってからヒヤマは深呼吸を一つした。そして私が口を開く前に、こう続けていた。
「マーロンと結婚したは3年前のことなのよ。マーロンが肺癌の宣告を受けて移植病院を退職してからひと月後。マーロンと私が『そういった関係』になっていたのは、なってしまっていたのはその10年前くらいからのことだけどね‥‥
 いろいろなことがあってそうなったんだけど、説明するのは面倒なのでその部分はみーんな省略。マーロンが肺癌にならなければ、ずっと籍を入れることはなかったのかもしれないけれど、治療とか入院とかいった手続きになると、ちゃんと籍の入った奥さんじゃなければ病院や役所は相手にしてくれないからそうしたのよ」
 運ばれてきたコーヒーをヒヤマが一口啜っているあいだに、私はやっと口を挟んだ。
「マーロンの奥さんはどうなったの?」
 最初、ヒヤマは意味がわからずキョトンとしていたが、事情を飲み込むと声をあげて笑った。
「あのね、マーロンは最初から結婚なんてしていなかったのよ。私は再婚、マーロンは初婚」
 私は口をポカーンと開けていたことだろう、2、3秒、たっぷりと。それからやっと質問した。
「‥‥あの、結婚指輪は?」
「マーロンの学生時代の恋の記憶。どんなことがあったのかは私も知らないし訊かなかったしマーロンも殆ど何も話してくれなかった、ただ相手の女性が亡くなっているということ以外は何もね」
 それから可笑しそうに笑って、
「ねぇ、信じられる? マーロンはね、私と結婚したときにあの結婚指輪を外したのよ、それもちょっと残念そうな顔をしてね。結婚して結婚指輪を外すなんてマーロン以外には歴史上きっといないわね。そして私と結婚して以降は、マーロンは結婚指輪をしなかった。私は30年振りに左手の薬指にこの指輪をはめたのにね」
 そう言って、ヒヤマは顔の前で左手の甲を向けてヒラヒラと回した。そこにはイエローゴールドの指輪が光っていた。
「マーロンの趣味で、ティファニー。あの人は昔からオードリー・ヘップバーンの熱烈なファンだったのよ、マーロンがしていた指輪もティファニー。」
 ティファニーという言葉を耳にして、高山にあるガラス美術館に理絵と行ったことを思い出した。ティファニー一族の誰かが造ったテーブルランプのガラス工芸が、息を飲むほど美しく、うっとりとそれに見とれていた理絵の横顔が、束の間私の脳裏に鮮やかに蘇った。
「で、スギちゃんに渡してくれとマーロンに頼まれていたのがこの2つのティファニー」
 そう言ってヒヤマがハンドバックから取り出して私の目の前に置いたものは、5センチ四方のほどの透明なビニールの小袋だった。中に2つの指輪が入っている。しかもその2つは、太い赤い糸で結ばれているのだった。
 私は袋を開いて、2つの指輪を掌の上に落とした。取り上げて仔細に見てみる。大きな指輪は、外側にTIFFANY&Co.と大きく刻印されていて、同じ文字が小さく、内側の面にも刻印されている。そして内側にはその他にもこう刻印されていた。

 MASAHIKOYUMIKO

 もう一つの小さな方の指輪の外側には、等間隔の3ヵ所に小さなダイヤが嵌め込まれ、ダイヤとダイヤの間の外側3ヵ所にTIFFANY&Co.と刻印されていた。そして、これも同じように、内側の面にはマーロンの名前と「ユミコ」という女性の名前がアルファベットで刻印されていた。
「ユミコ、って、誰なの?」
「死んだ恋人の名前ということ以外は何も知らないわ。私はマーロンに訊かなかったわ。マーロンが話したければ話したでしょうけど、マーロンはそれについては何も話すつもりはなかったんだと思う、誰にも」
 私は赤い糸で結ばれて、まるで寄り添うかのように密着している2つの指輪をビニールの小袋に戻しながら呟いた。
「どうしてマーロン、これを僕にくれたんだろうね‥‥」
「その理由なら、こんなおかしな説明をしてくれたわよ」とヒヤマは微笑んだ。
「マーロンが言ってたわ、墓場を散歩することが大好きな杉田は、きっと俺の墓を見物できなくてさみしく思うだろうから、これを俺の墓代わりだと言ってあいつに渡してくれ、って。墓場散歩? そんなの趣味になるの?」
 私はビニール袋の中の二つのティファニーを眺めながら呟いた。
「墓代わり? これがマーロンの墓?」
「あのね、マーロンはお墓は造らないことにしていたの。そのうちに小樽の祝津の沖合の海に私が散骨することになっている、遺灰の全てをね。小樽の港から船に乗って、遺骨を全部粉にして袋に詰めて、マーロンのその遺灰を海に沈めてくるわ」
 そこでしばらく言葉を途切らせて、ヒヤマは何かを思い出しているようだったが、まるでもうそれ以上の考えを振り捨てようとでもするかのように頭を一度大きく振ると、
「さてっ、と。こうしてマーロンから頼まれていた用件も済ませたことだから、私はあの思い出だらけのマーロンのマンションに戻ることにするわ」
 それからしばらく沈黙していたヒヤマだったが、突然、実物の金属でできた金網の向こうに描かれた絵画の本棚をぼんやりと見上げながら、独り言でも呟くような口調になってこんな話をした。
「ねぇ、昔、患者さんや患者さんの家族の人たちがみんながこう言ってたわ。大勢の患者さんの家族が同じ意味のことを言っていた。マーロンと話をするとね、まるで居心地のいい部屋で座り心地のいいソファーに座っていて、優しい髭面の神様に慰められているような気持ちになるんだ、って。杉ちゃんや他の先生たちのムンテラ(病状説明)はただのムンテラ。でも、マーロンのムンテラは、声は、顔つきは、まるで教会の神父さんの慰めの言葉のようで、とても安心させてくれるものなんだって。わかる? 私はそんなマーロンと、20年以上同じ職場で働いて10年以上男と女になって、3年間夜も昼もずっと一緒に暮らしたの。で、マーロンがいなくなった今、本当に、心にポッカリと穴が空いてしまっている。どうやってこれから生きていけるんでしょうね‥‥」
 そして顔を私に再び向けると、突然打って変わってサバサバした口調になり、こう続けた。
「あーぁ、私って本当に運が無いわよね、最初の亭主は交通事故で死んじゃうし、やっと一緒になれた大好きなマーロンも死んじゃうし」
「えっ? 離婚したんじゃないの最初の旦那さんとは?」
「離婚したって言ったほうが格好いいでしょ。気の強い看護主任とか看護師長には似合っているのよ、その方が。そうそう私ね、来年の1月にはおばあちゃんになっちゃうのよ、信じられる?」
 そう言い終えると、ヒヤマはゆっくりと立ち上がった。
「じゃぁね、杉ちゃん、またね」
 昔のようにそう別れの言葉を告げると、ヒヤマは店を出て行った。


17
 札幌駅の東コンコースを歩き、南口から外の街に出た。
 午後4時を過ぎたばかりで、8月終わりの夏の日差しはまだ十分に残っていた。
 子供の手を引いた家族連れや若いカップルがコロナ禍にもかかわらず、大勢、楽しそうに歩いている。
 ‥‥そして、もう、マーロンはいないのである。
 5日前に息を引き取り、もう永遠にあの独特の微笑を、ジャン・レノ髭の向こうに見ることはできない。
 死んだことも知らず、毎日私は朝から夕方まで新型コロナワクチンの問診をやってクタクタになる日々を送っていた。この仕事の最初の頃は、マーロンに欺されてトンデモナイ仕事をさせられていると思っていたが、そのうちに、いろいろな人を見るこの仕事が楽しく思えてきていた。「新型コロナ火星人襲来」と五里霧中で戦っている地球防衛隊の一員にでもなったような、得難い、貴重な経験をさせてもらっていると思えるようになった。
 マーロンにそのお礼を言う前に彼は死んでしまい、理絵と同じように里塚の火葬場で荼毘に付され、その身体は宇宙の中へと溶けてしまった。

 札幌駅からそのまま南へ歩いた。
 大通り公園を超えススキノを貫通し中島公園までの2キロほどの一本道を、何も考えずに。
 子供の泣き声がした。
 見ると、親に手を引かれた4歳くらいの可愛い女の子が、何故か声をあげて泣いていた。
 ‥‥いつだったろう、病院事務の職員に期限が来ている書類の提出を強く求められて、勤務時間中に家に戻ったことがあった。玄関ドアを開けて中に入ると、泣き声がした。
 そっと廊下を歩いて、泣き声に近づいていった。
 理絵のアトリエのドアが少し開いていて、中から理絵の、身も世もあらぬといった強い号泣の声が溢れ出していた。私がドアの前に立ち止まったいたのは、1分間もなかっただろう、あるいは10秒すらも。ゆっくりと踵を返して、私は玄関ドアを開いて体を外に滑り出させた。そして鍵を閉めた、書類を持ち出すことなど思いもせずに。
 あの時、アトリエの中に入って、理絵を抱きしめ、どうして泣いているのかを訊くことが、ビー・ジェントルな行為だったのだろうか?
 話し合えば解決がつくことだったのだろうか?
 いや、いつかマーロンが言ったように、いくら話してみても解決のつかない事柄というものがあり、それを抱えたままで生きてゆかなくてはならないことがあるのだろう。
 どうやったって解決のつかなかったことを、死ぬまでずっとあれこれ後悔して生きてゆく、気づいていよいうがいまいが、誰もがそうやって生きていくものなのだろう。
 ハイデルベルクの嘆き男も、そしてリトアニアの風の美女も、誰もが、死ぬそのときまであれこれ嘆き悲しみ後悔する。
 そして幸いなことに、死がそれらすべてをいつか終わらせてくれる。
 理絵が家の中で泣いていたのは、旭川の父が札幌の家の芝生を見に来なくなってしばらくしてのことだっただろう。そして私の知らない数多くの日々、理絵は一人でアトリエで泣いていることもあったのだろう。当時もそれくらいのことは推測できてはいた。そして私には、理絵が抱えている悩みを解決する力にはなってやれないだろうことを、漠然と理解していた。
 ただ、移植病院をできるだけ早く辞めようと思ったのは、あの泣き声を聴いたからでもあった。移植病院どころか、普通の病院勤務も選ばずに、もっと時間を自由にできる健康診断の医者になることに決めた。そうすれば理絵ともっとずっと長い時間一緒にいられる、と。
 その選択は正しかったのだと今は思う。
 ふと見ると、通りの向こうの青いビルの上のほうに、『札幌パークホテル』の大きな文字があった。レトロな字体の、眠りを誘うような文字である。ホテルの庭園の滝が見たくなり、そのまま建物の中へ入り、ロビーを進んだ。そして壁ガラスの前に置かれた硬い長椅子の上に腰を下ろした。
 札幌パークホテルの庭園の滝は、その日も相変わらず、電気の力を借りて流れ落ちていた。
 同じ水が循環している。
 しかし考えてみれば、地球全体が一つの「閉じた空間」なのだから、この滝もそれを象徴する一つの閉じた循環を見せてくれていることになる。
 やがてこの水の循環の中に、マーロンの体の中の水分子も入り込んでくるだろう。そして、理絵の水分子と一緒になって流れることになる。恋人を遺して若くして死んだ百田や、副知事を目前にして死んだ加藤や、ハイデルベルグの嘆き男やリトアニアの風の美女の水分子と一緒になって、地球が40億年後に膨張する太陽に呑み込まれて消えてしまうその時まで、この惑星の上を旅し続けることだろう。
 軽井沢の白糸の滝に理絵と一緒に行ったときのことを思い出した。
 あそこでも、ちょうど目の前の札幌パークホテルの庭園滝と同じように水が流れ続け、今ではその中に、かつて理絵の体の中に存在した水分子が無数に流れていることだろう。やがて私も死に、その水の中に溶けてゆき、理絵と一緒になることができるだろう。
 小雨の中で傘も差さずに、あの軽井沢の滝に見とれていた理絵が、振り返って私に微笑む。
「きれいね‥‥」

 どこでも
 君と一緒にいることができたならば
 その世界は限りなくきれいだった‥‥

(第一部終わり)

続く