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2016年8月30日火曜日

涸沢ヒュッテvs 涸沢小屋









 ということで、台風の雨風に閉じ込められて涸沢で身動きが取れなくなった結果、涸沢ヒュッテと涸沢小屋の両方に泊まることになってしまった。
 ここでこの涸沢にある2つの山小屋について、比較検討することは、穂高登山者にとって有益なことかもしれないと思うので、書いてみることにする。

 横尾山荘で不味いラーメンを食べた後、そこの公衆電話を使って涸沢ヒュッテに電話をした。何故、涸沢ヒュッテを選んだかというと、少しでも近い山荘に入って一刻も早く休みたかったからである。ほんの少しではあるけれども、涸沢山荘よりもヒュッテの方が近くにあった。


 テレフォンカードを横尾山荘の売店で買って電話をすると、電話口の向こうで女性の声がした。うつ病の治療中で精神病院に入っている患者のように暗い声だった。口調も雰囲気も何もかも、この世に絶望している女性が病室で受話器を取ったような印象。「気をつけて来てください」という最後のその定型的営業言葉も、言葉の内容とは裏腹に、この世界もすべての登山者もどうなったっていいという真情を吐露しているかのようだった。

 Nと二人で、涸沢に続く道を沢に沿って登ってゆく。途中、ガレ場があり、落石が来ないように祈りながら急いで渡る。雨がまだ降っていないのが幸いだった。
 涸沢ヒュッテにたどり着き、暗い受付の女性と話をして、宿泊名簿を記し、寝床のある場所を教えられる。台風が近づいてきているので、宿泊客・登山者は10数名しかいない。数百人を収容することもできるヒュッテでは、きっと珍しいほどの少なさだろう。
 そのせいなのだろう、夕食のときには、350mlのビールが無料で全員に振る舞われた。こんな台風前の天気を押してよくぞやってきてくださいました、という感謝の意味を込めてのサービスだという。

 暗い印象の受付の女性の声は、広い玄関にあるテレビのまえで気象情報をずっと見ていた私の耳に忍び込んでくる。

 紅葉シーズンの予約の電話を受けているらしい。
「はい……はい……そうです。一つの布団に、2人か3人で寝てもらうことになります。それでもいいですか……。一つの布団に、2人か3人です……」
 もちろん、私とNの場合は、空いているので、3つの布団を敷くことができるスペースに、2つの布団を敷いて、一つの布団に一人で眠ることができたけれども、紅葉シーズンになると一つの布団に3人で寝ることになるらしかった。
 もちろん、7月8月の登山最盛期も同じように布団に2人3人となっていたことだろう。
 むさくるしい男が一つの布団に3人……考えただけでも気を失いそうだった。

 玄関の広い板の間では、広島からやってきたという”山ガール”2人がストレッチをやっていた。話してみると、その日の朝、穂高山荘まで登ったらしいのだけれども、その先は行けなかったという。穂高山荘の人にも「風が強いから止めたほうがいい」と言われ、降りてきた人にも風で飛ばされそうになったと聞き、泣く泣く諦めて降りてきたということだった。OL2人、20代後半といった感じのamiableな人たちだった。翌日、2人は雨の中を・大雨の中を下山していった。

 東京から来たという若いカップルは、登山よりも紅葉が目的だった。以前も2人で涸沢に紅葉を観に来たことがあるのだという。共に20代半ばといった感じで、月曜の午後は雨に閉じ込められて涸沢ヒュッテの布団の中にいた。十分にスペースはあったはずなのに、「一つの布団に2人で眠っていた」ことは、もちろん、この際、問題ではない。
 カーテンをしていなかったので、女性の寝顔を見ることができた。男性は横を向いて・女性の方を向いているので寝顔を見ることはできなかったが(見たいとも思わなかったが)、女性の方は、鼻筋の通った美しい、気品のある寝顔だった。後でこの女性と話をしたけれども、笑顔も優しい印象で、つまり寝顔も笑顔も、そして性格も美人、といった唖然とするような素敵な人だった。
 男性の方は無口で、かといって引っ込み思案というわけではなく、自分から積極的に話しかけようとするタイプではなく、唯一の欠点は喫煙者ということだけだった。喫煙者は、ヒュッテのトイレ横(臭い)の喫煙場所で頻繁に煙を吸っていた。

 カナダからやってきていた男性(60歳)とも少し話をした。彼は、バンクーバー在住で、マウントレーニア、キリマンジャロ、モンブランなどにも登っていた。日本には最近頻繁に来るようになり、富士山には登ったので、今回は奥穂高岳にやってきたのだという。名前はP氏。


 さて、夕食の時間となった。月曜日の夕食。

 食堂にやってきたのは、その日の夕食を注文していた10人ほど。食堂には一度に100人くらい入れると思うけれども、たった10人。見晴らしのいい窓辺の最高の場所に陣取り、食事をした。確か、おかずは鮭、だったと思う。後はエビフライか何か。良くは覚えていない。良く覚えていることは、驚くほどの粗食であったこと。
 考えてみれば、食料はすべてヘリで運んでいる。しかも、混雑時には300人、400人を受け入れ、食堂も何度も「入れ替え」で食べるということだから、豪華な食事など用意できるはずもない。
 大きな窓から涸沢の向こうに広がる山なみ(常念岳とか)を見ながら食事ができたことだけでも満足しなければならない。
 給仕についた(?)男性従業員は、うつ病のような雰囲気はなく、ごく自然に微笑を浮かべながらあれこれ世話をやいてくれた。

 夕食を終えてしばらくすると、従業員たち10人くらいが、何かの食べ物と、一升瓶(酒)を手にしてどこかに消えていく姿を見ることができた。広い玄関で、テレビを見ていたら、彼らがワイワイと楽しそうにどこかに向かっていったのである。涸沢ヒュッテは幾つもの棟から成っている。恐らく、食堂のあるメイン棟から離れたどこかの棟で、従業員たちが夕食と飲み会をやるのだろう、毎晩。


 火曜日の朝は、雨。それもヒドイ雨。当然だろう、大型台風が通過している最中なのだから。

 東京のカップルと、P氏と、私とNは、別棟にある談話室でお喋り。
 それでも、午後になると東京のカップルは下山していった。P氏と私とNの3人は、昼ごはん(弁当)を食べてから涸沢小屋へと移動した。3人とも、午後になって小降りになったら穂高山荘まで登るつもりでいたのだけれども、雨は弱まったかと思うとまた突然激しくなる、の繰り返しで、結局安全策として、涸沢小屋に一泊して天気の回復を待つことにしたのである。
 涸沢小屋の受付の女性は、南国風の美人で、愛想もよく、うつ病とは全く縁がなさそうであった。涸沢ヒュッテとは異なっていた。

 P氏とNと私は一緒にやってきたので仲間と思われたのだろう、3人揃って、2階にある6畳間ほどの広さの部屋「空(くう)」で寝ることになった。ここも台風のために宿泊者は少なく(涸沢のテント場は前夜はゼロ、この日の夜には3.4張、といったところだった)、10人前後しかいなかった。

 ということで、早速私は山荘内を探検。
 2階には和室が幾つかあったけれども、突き当りのドアを開けると、そこは体育館のように広い空間で、布団が見渡す限り畳まれて置かれていた。優に100人200人は雑魚寝をすることができる、一つの布団に3人寝れば300人でも600人でも(大袈裟か)といった雰囲気だった。もちろん、10人前後しか泊まっていないその日は、その巨大空間の中に人の気配はない。
 下に降りて食堂を見る。食堂は、廊下からは、幾つもの暖簾で隠されていて中は見えない。人の声がするので、ドアを開けて入ってみた。
 ところで、涸沢ヒュッテには倍以上の大きさの食堂があり、以前テレビで見たこともあるけれども、その食堂では「音楽会」なども開かれる。涸沢ヒュッテに滞在していた間も、何度かその食堂に入り、椅子に座って本を読んだり窓から外の景色を眺めた。おそらく、宿泊者が極端に少なかったせいもあったのかもしれないが、食堂で過ごしていてもスタッフから「追い出される」ようなことはなかった。
 ところが、涸沢小屋では、対応は全く異なっていた。
 食堂に入ってゆく。
 すると、例のデッキに面していて、前穂高のノコギリ状の山並みを見ることのできる大きな窓の前には、窓と並行して大きなテーブルが並べられている。そのテーブルに向かって本を読むか何かしていた若い男の従業員が、私を不機嫌そうに見つめて、ため口で、
「なに?」
 と、訊いてきた。眼鏡をかけた男である。
「いや、あの、テレビでも見ようかと思って」
 と私が答えると、
「テレビなら食堂に行ってみて」
 と切り捨てるように、(あっちへ行け)という真情が透けて見えるような傲慢な口調で命令してきたのだった。
 この広い食堂、この窓からの眺めは、たった一人自分のため、あるいは涸沢小屋の従業員のものであり、宿泊客なんかに味わせるつもりはないという毅然とした態度だった。
 小屋の食堂は、とても落ち着いたものではない。しかし、もちろん、この生意気な従業員と言い争っても仕方ないので、私は食堂を出た。
 涸沢小屋は狭い。談話室も2階にある4畳半(3畳半?)ほどの狭いもので、他に部屋以外に休むところはない。もちろん、部屋に天気情報を流しているテレビがあるわけでもない。というか、部屋では、疲れた同室者が寝ていて音を立てられるような雰囲気すらない。
 ということで、涸沢小屋には、休憩するスペースは全くといっていいほど無い。
 涸沢ヒュッテでは、玄関の板の間は広いし、本棚の前には椅子が幾つか置かれているし、その本棚のあるところから階段を少し降りると広い食堂があり、そこにいても生意気な従業員から邪険に追い払われることもない。

 で、夕食である。
 その、前穂高の山の姿を見る大きな窓ガラスの前のテーブルで食事ができるものだと私は勝手に想像していた。