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2016年7月1日金曜日

庭いじり

芝生のお手入れ
http://matome.naver.jp/odai/2144349448937975101?page=2

http://shibafu.enjoy-gardening.com/diary/20070723/


ドクダミとの闘い


http://matome.naver.jp/odai/2137205807358731901


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q139405318



 放っておけば、森のようになる、なんて誤解していた。
 庭いじりの90パーセントは、「掃除」である。

 オーストラリアでの外科医の発言。

 同期の医者に、父親が当時医科大学の教授をやっていた男がいた。彼(同期、ついでに高校も予備校も同期である。彼は現役のときに風邪をひいて大学入試を受けれなかったため浪人したらしい)は学生時代、父親に着いていって、オーストラリアで開かれていた国際学会を見学したらしい。
 そのとき、父親の知り合いの外科医(東大の外科医)と親しく話をしたらしいのだけれども、その外科医が、自嘲気味にこう言ったのだという。
「結局外科っていうのは、余分なものを切り取ってくる、それだけの仕事なんですよ」

 その話が耳に残っていた。医者になって、外科医の戦場である手術室にも何十回も顔を出し、手術を見た。自分が送った患者の手術やら、興味深い大きな手術やらを。
 そして、「余分なものを切り取ってくる」という言葉が、決して自嘲なんかではなく、本当は内に秘めた誇りを語っていることに気づいた。
 だって、切り取る、だけならバカでもできる。しかし、切り取って、障害を残さずに、もちろん生命に危険を及ぼすこともなく、術後管理もしっかりとして、「健康に戻して」患者を病院の表玄関から(裏玄関ではなく)笑顔で見送る、ということがどれほど大変な仕事であるのかということを、医者になってから十二分に知らされたからである。
 余分なものを切り取ってくれる、そして命を助けてくれる外科医というのは素晴らしい。
 考えてみれば、生きてゆくということは常に余分なものを切り取り捨ててゆくということである。
 免疫系というのはその代表。
 遺伝子レベルでも、常に、DNA合成の失敗を(余分なものを)切り取り、正常なものに変えるシステムがある。
 余分なものを捨てなくては生命は維持できない。

 それは、しかし、ガーデニングでも全く同じことなのである。
 私は愚かなので、庭というものは放置しておけが、自然と形をなすものだと考えていた。登山を楽しみ、原始林の中を歩くのに慣れていた私は、庭も原始林も「自然に放置しておけばいい」と、今から振り返ってみれば、アホ丸出しの考えから抜け出せないでいた。
 その結果は……。
 雑草だらけの家の庭である。
 
 

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