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2016年7月17日日曜日

コリアンによる日本人へのテロ



 「拉致問題」などというバカな、というより「真実を隠蔽する名称」を使うのは、コリアンに支配された日本のメディアだからだろう。
 「拉致問題」ではない、
 「コリアンによる日本人へのテロ」である。
 多くの日本人が、コリアンに拉致され、殺されている・結果的に死んでいるのは殺されたも同じである。


http://www.sankei.com/premium/news/160717/prm1607170025-n1.html
2016.7.17 11:00 産経新聞
【北朝鮮拉致】
横田めぐみさんは偶然に拉致されたのではない 見えてきた日本人拉致の全貌
 政府が認定する被害者だけで17人に上る日本人拉致事件の全貌(ぜんぼう)はどこまで分かっているのか。拉致被害者の支援組織「救う会」の西岡力会長とジャーナリストの恵谷治氏が拉致事件の発生現場や被害者証言の検証を通じ、目的に応じて3つのパターンに大別することが見えてきた。かつて偶然に拉致されたとみられていた横田めぐみさん(51)=拉致当時(13)=らも、ある目的のため、北朝鮮工作員に連れ去られたことがうかがえる。

新たに浮かんだ「条件拉致」

 日本人拉致事件が3つのパターンに大別されることは、6月22日に東京都文京区で救う会が開いた集会で明らかにされた。

 西岡会長と恵谷氏が示したパターンは、海上遭遇拉致、人定拉致、条件拉致の3つ。海上遭遇拉致は、海上で漁船に見つかった際に工作員が摘発されるのを防ぐため、さらっていくもの。昭和38年5月に石川県志賀町から出漁し、消息を絶った寺越昭二さん=失踪当時(36)=らの事件が該当する。

 人定拉致は、拉致する対象者を工作員らがじっくりと選定した上で、北朝鮮に連れ去る。52年に工作員が日本人になりすます目的で、東京の三鷹市役所警備員の久米裕さん(91)=拉致当時(52)=が拉致された事件がこれにあたる。

 集会で、西岡会長は「海上遭遇拉致と人定拉致があるということは常識だった。逆にいうと、人定拉致こそが拉致の主流だというように思っていた」という。だが、いろいろ調べていく過程で、「1977(昭和52)年、78年の拉致についていろいろ調べると、もう一つ条件拉致があるのではないかということが分かってきた」と明かした。

 これまで昭和52年に拉致された松本京子さん(67)=拉致当時(29)、横田めぐみさんについては、工作員がたまたま目撃され、秘密の暴露を防ぐために拉致した遭遇拉致とみられていた。だが、西岡会長と恵谷氏が調べると、どうやら違っていることが分かってきたという。

 例えば、松本さんが連れ去られた際には、拉致現場近くに住む男性が現場近くを通った際に工作員の顔を見ているが、殴られただけで連れ去りはされなかった。この状況を根拠にして、恵谷氏は「偶発的に出会って連れ去られるのは海上でしかない、陸上ではないと判断した」と指摘。横田めぐみさんに関しても、事件と同じ月日の現場を見た上で、「めぐみさんも当初は遭遇拉致ではないかといわれていたが、真っ暗な中で(工作員を)目撃するはずもなく、めぐみさんは『若い女性を連れてこい』という条件拉致だったのではないか」と語った。


被害者の証言「若い女性を工作員にしようとしていた」

 若い女性を連れてこいという条件があったのはなぜか。西岡会長は、北朝鮮が当初、女性拉致被害者を工作員にしようとしていたという帰国被害者の証言に注目する。

 ただ、工作員として養成することはうまくいかなかった。外国人拉致被害者のケースでは、訓練を受けた後、海外に演習に出かけ、逃亡したこともあった。

 大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元北朝鮮工作員によると、「当時、若い女性を連れてきて洗脳しろという命令が金正日(キムジョンイル)から出ていた、と。しかし、なかなかうまくいかないという状況だったんです」(西岡会長)という。

 恵谷氏は「(北朝鮮の)とにかく目的は女性だった。しかし、女性一人であれば、精神的に不安定になり、寂しいとかいろいろな問題があるのでカップルにしろということになった」と説明する。松本さんやめぐみさんが拉致された翌年夏、日本ではアベックが連れ去られる拉致事件が頻発した。

状況、証言から浮かぶ「アベック」という条件拉致

 昭和53年夏に起きた日本人拉致事件は未遂も含めて5件に上る。このうち4件の被害者はアベックだが、残る1件については異なっている。

 8月12日に新潟県佐渡市で北朝鮮工作員に曽我ひとみさん(57)と母のミヨシさん(84)=拉致当時(46)=が連れ去られた。2人はアベックではない。

 しかし、西岡会長が曽我さんに2人の服装を聞いたところ、ミヨシさんはいつもズボンをはいており、曽我さんはその日ワンピースを着ていた。事件が起こったときはすでに薄暗くなっていたうえ、2人は後方から近づいてきた工作員に襲われた。こうした状況から、西岡会長は「後ろから見たら、若いアベックに見えたのではないか」という一つの仮説を挙げ、「そうすると1977(昭和52)年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた。ぴったりと条件ということに合う」と話した。

 今回、集会で拉致事件の全貌に迫った目的について、西岡会長は「北朝鮮に問題提起したいのは、『あなたたちは1977年、78年に条件拉致をやっていたでしょう。記録を調べてみなさい。われわれがいっていることが正しいということが分かったならば、日本を甘く見てはいけないということが分かるはずだ』という問題提起です」と話す。北朝鮮は拉致についてうそをつき続けているが、真実は徐々に明らかになってきている。