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2016年6月7日火曜日

女の気持ち 男の気持ち ゲス野郎・朝比奈豊・毎日新聞社長




人生の春 東京都板橋区・小田和子(主婦・65歳)
毎日新聞2016年4月18日 東京朝刊
 先生、65歳になりました。中学校を卒業して50年。年金生活になったのがうそのようです。
 言えることは、今日まで無事に生きてきたことです。荒波をかぶってはもがき、必死で払いのけました。人生はままならず、手ごわいけれど、生き抜いた喜びの方が勝ります。
 先生、あのころに戻りたくもあります。修学旅行、体育祭、弁論大会、グループ日誌、学級歌、水色の夏の制服、親への反抗など。怖いもの知らずで、すべてが輝いていた日々です。
 高校、短大を経て上京。OLから教師になり、結婚して子育て。仕事との両立で悪戦苦闘しました。母が鹿児島から何度も駆けつけてくれたおかげで、2人の子も無事に巣立ちました。
 予期せぬこともありました。連れ合いとの別離です。先生は結婚を祝福してくださったのに、添い遂げることはできませんでした。立ち直った今は、新しい世界が開けました。
 親とのつらい別れもありました。早期退職し、介護を最優先させました。父を4年前に亡くし、母を一昨年見送りました。共に過ごした時間は親からの最後の贈り物と思っています。
 先生、今でも卒業式が目に浮かびます。教え子50人の名前を、名簿も見ずに読んでくださったことは、最高のはなむけでした。皆は元気でしょうか。
 外はすっかり春支度。私もようやく訪れた人生の春を謳歌(おうか)していますからご安心ください。また先生にお会いして、この続きをお話しできる日がありますように。


結婚指輪 東京都杉並区・土肥恵子(主婦・69歳)

毎日新聞2016年4月19日 東京朝刊
 主人が半年の闘病の末、亡くなった。葬儀の打ち合わせを葬儀屋さんとした時、なにげなく「指輪はしていいのでしょうか?」と尋ねた。主人はきっとこぎれいにしている私を望んでいると思い、聞いたのだ。
 「喪主は結婚指輪しかできません」との答えだった。
 結婚指輪など、もうずっとタンスの隅においてある。子どもを産んでから太ったこともあり、忘れていた。試しに指にはめてみた。ビックリ! すんなり指に収まった。
 主人が亡くなってからはめる結婚指輪。ルビーもサファイアもダイヤも、この結婚指輪にはかなわない。
 もう、これからはこの結婚指輪が私の最高の宝物だ。私が旅立つ時、主人の結婚指輪も持って行こう。
 また、あの世とやらで一緒になろうね。
 お骨もちょっともらってネックレスにしてみた。これからずっと私を守ってくださいね。
 わずかな時間だと思いますが、やりたかったゴルフ、マージャン、カラオケなどをたくさん楽しみながら私を待っていてください。また会える日を待ちわびています。


大切な我が子 千葉県大網白里市・鈴木亜希子(主婦・35歳)
毎日新聞2016年4月20日 東京朝刊
 今年に入って、9カ月のおなかの子を亡くした。死産は2度目であり、まだ日が浅いなか、なんとか元気に毎日を過ごしているが、時々は弱音を吐くこともある。
 先日、4歳の長男に寝る前の布団の中で「赤ちゃん元気に産んであげられなくてごめんねって思うんだ」とこぼしてしまった。静かに聞いていた長男は私の顔をのぞき込み「お母さん、どっちでもいいんだよ」と言った。思わぬ言葉に、私はその真意をものすごく知りたくなった。なるべく穏やかにと自分に言い聞かせて聞いた。「どういうこと? 何がどっちでもいいの?」
 少し間を空けて彼は「元気に生まれても、元気に生まれなくても、どっちでもいいんだよ」。それだけ言ってまた横になった。その時はお互いそれ以上のことは言わなかった。
 ゆっくり冷静に考えた。そうだ。これが長男の声、亡くした赤ちゃんの声だとしたら……。
 元気でも、元気じゃなくても、みんな同じ大切な我が子。私と夫の所に来てくれた。亡くなった子がおなかにいた間、確かに幸せだった。どの子もみんな幸せを持ってきてくれた。死産の2人は、ただ少し早くお空に帰っていってしまったけれど。
 そうだ。ただそれだけに感謝しよう。来てくれたことに。そう考えると、長男の言葉がしっくりくる。大げさかもしれないが、暗雲が去り、晴れ渡る空のように心がすっきりした。この言葉をこれからの支えにして、がんばれる気がした。



この年で分かる 埼玉県ふじみ野市・永井日出子(主婦・69歳)
毎日新聞2016年4月21日 東京朝刊
 朝起きたら居間の窓のシャッターが開いたままになっていた。ガス栓、石油ストーブ、こたつ、雨戸を、夫と私とそれぞれで確認して寝る習慣にしているのだが、最近、その確認作業に漏れが生じるようになった。
 1人が忘れても、もう1人が気づけばそれでマルなのだけれど、ここのところ、2人共に抜けていることが目につくようになった。「2人合わせて一人前でいられたらいいね」と言っていた夫と私。でも、それさえも危うくなってきた。
 先日もトントンと2階へ行って「アレッ、なんで2階に来たんだっけ」と考えてしまった。そして1階の元の位置に戻ったところで「アッ、そうか」と思い出した。
 こんな自分の行動を顧みるとなんとも情けない。年をとるってこういうことなんだなあ、とつくづく思ってしまう。
 亡き両親のとまどっている姿を思い出してしまった。
 どんなにか心細かったんだろうに、その気持ちに添ってあげられない優しさの足りない私だったと思う。
 自分がその年にならないと分からないこと、その立場に置かれないと分からないこと、そういうことがたくさんあるんだなあと、この年齢になって思い知らされた。
 私たち夫婦も年を重ねて、これからどういうことになるのやら。
 未来は未定だけれど、せめて意識が定かな時はいたわり合いながら、夫婦の時間を大切に過ごしていきたい。


桜花舞う夜 埼玉県寄居町・大野順一(無職・70歳)

毎日新聞2016年5月21日 東京朝刊
 1998年2月7日。健康自慢で最愛の妻が脳梗塞(こうそく)を発症し、右半身不随となった。結婚27年目だった。それまで私は仕事優先で深夜まで飲み歩き、随分と妻に心配をかけた。
 この日から一変した。右半身不随は妻の人相を変え、目の力はなくなり別人のようになった。しかしリハビリを頑張り、1年たったころには、ほぼ元の人相に戻ってきた。妻は利き腕の右手がマヒして包丁が持てず、私が出勤前に食事を作って昼飯も用意し、妻は時間をかけて家事をやった。
 それからは、妻とは何をやるにもいつも一緒、何でも半分ずつ分かち合ってきた。健常時には見えなかったこともいろいろと見えてきた。
 高所恐怖症の私だったが、「高山に登り、リハビリしたい」と言う妻の思いを受けて毎年行った。はじめは尾瀬、次いで谷川岳、立山、伊豆大島の三原山、北アルプス一帯、栂池高原、白馬八方池、五竜岳、乗鞍岳、中央アルプスの千畳敷カール……。時にはロープウエーを利用し、登山道では妻の手を取った。お花畑を散策した時の妻の笑顔が忘れられない。
 昨年、当欄に投稿した「シュフの手」が掲載され、私たちの励みとなった。
 そんな妻に、倒れて18年間の心身疲労が積もり積もったのだろうか。3月31日。昼に2人で約束した方に会い、帰途に満開の桜を楽しんだ。その夜、妻は突然に胸の痛みを訴え、私に抱かれて4、5分で逝ってしまった。桜花舞う夜に別れとは。



専業主婦の喜び 新潟市東区・長谷川朋子(主婦・59歳)
毎日新聞2016年5月18日 東京朝刊
 この3月末で30年余り続けてきた仕事を辞めた。家族や職場の協力も得つつ仕事をしてきたことに、感謝こそすれ後悔はない。
 長女を出産後、1年間の育休を終えるころには、復帰できる職場があるありがたさを感じたのも正直なところだった。
 そのころの夫は「育休終了、復帰という選択肢は自分にはないなあ」と言っていたが、私には復帰に迷う余地はなかった。当時の彼の女性上司の「手伝いじゃなくて分担」という妻側には大変ありがたいお言葉や、2度の単身赴任生活を経て、夫も少しは考えが変わったようだ。
 専業主婦になって約2カ月。昼間家にいられることがうれしくて、掃除、洗濯、炊事にも張り切っているし、平日の映画館に行ったり、近くに住む1人暮らしの実父と過ごす時間が増えたりしたこともうれしい。
 長らく「時間との闘い」を続けてきた身には、ゆったり流れる時間が本当に心地よいのだ。
 家の中にたまったいろいろな物たちも少しずつ処分していこう。義父や義母、そして実母の物もまだまだある。都会で暮らす娘たちの学習机や2段ベッド、絵本なども。
 長らくスピード第一だった料理も習いたいし、趣味の着物や太極拳も続けたい。
 この先、今の生活が長くなった時に気持ちがどう変わっていくかは分からないが、専業主婦は創造的で価値のある仕事だと、私は思っている。
 要するに仕事をもっているかどうかが問題ではないのだ。


故郷 埼玉県新座市・吉原ゆり子(主婦・60歳)

毎日新聞2016年5月24日 東京朝刊
 息子が就職して、鹿児島へ赴任した。
 雨の日、大きな荷物を持った息子を駅まで送って行った。その数日後、私は風邪をひいてしまった。
 私の中でどこかのスイッチがオフになってしまった。
 「空の巣症候群」などという言葉を聞いたことがあったけれど、私とは無縁だと思っていた。「子育て終わり、バンザーイ!」組になるはずであった、行きたい所に行き、やりたいことをやる予定であった、なのに……。
 抜かれたプラグが宙に浮いている、それが今の私。
 だったら思い切り寂しさを味わってやろうじゃないのと居直ってみた。
 すると見えてきたのは、私もまた、このような思いを親にさせてきたことだった。自分ひとりで大きくなったように思っていた。
 母を疎ましく思ったこと、母が私に伝えたかったこと、結婚式で父が見たこともないようなお辞儀をしたこと、義母と初めて会った時、義母が私に「息子をよろしく頼みます」と畳に額をこすりつけて言ったこと。それらの意味が少し、ほんの少し、分かったような気がした。
 私がそうであったように、息子たちもまた、未来へ視線を向けている。
 それでいい、それでいい、今はそういう時だよね。
 大丈夫、故郷はここにしっかりあるから。
 空の巣から微弱電波で発信し続ける。元気でいてね。元気でいてね。元気でいてね……。


▲:毎日新聞というのは本当にクソ新聞で、その英字新聞では日本人を性的変態として長年にわたって世界に向けて報道し、日本人を貶めてきたことで有名である。その日本人変態報道をやっていた責任者の一人である朝比奈豊というクズが、今の毎日新聞の社長をやっているというのだから、この新聞社が日本人の(良識ある日本人の)敵といっていいものであることは誰しも容易に理解できる。

 それこそ毎日毎日入れ替わりで、コリアンメンタルの新聞記者たちがコリアンの代弁者となって偏向記事(日本人をヘイトする記事)を垂れ流している。
 過激派革マル派の岩見隆夫が論説を牛耳ってきた新聞社で、今ではその子分の布施とかビッチ・福本とかが「幹部」をやっているのだから、日本一腐った新聞といってもいい(あるいは東京新聞・中日新聞と一緒に腐敗御三家新聞といってもいい)。
 ところが、この
「女の気持ち・男の気持ち」 は、毎日新聞の社是であるコリアンマンセー・日本人ヘイト主義の影響はなく、
 日本人の庶民の生きざま死にざまを映し出してくれている。
 まるで現代の万葉集詠み人知らずの姿を見ているようである。


<結婚式で父が見たこともないようなお辞儀をしたこと、義母と初めて会った時、義母が私に「息子をよろしく頼みます」と畳に額をこすりつけて言ったこと>


 義理の母親に息子をよろしく頼みますと畳に額をこすりつけて言われたら……姑とつまらない喧嘩をするようなこともなく、嫁姑の関係も何の問題もなかったんだろうなぁと思う。

 結婚式で父親が精一杯お辞儀したのか……。娘を嫁に出す父親の姿が目に浮かぶようである。


朝比奈豊 毎日新聞社長 変態記事を世界に発信した責任者の一人として処分される 8・8・7



 以下はウィキより引用。

朝比奈 豊(あさひな ゆたか、1947年(昭和22年) - )は、日本のジャーナリスト、会社経営者。毎日新聞グループホールディングス・毎日新聞社代表取締役社長。一般社団法人アジア調査会副会長[1]。東京放送ホールディングス取締役。

静岡県御前崎市出身。静岡県立掛川西高等学校を経て、東京大学農学部を卒業。
1971年、毎日新聞社に入社。浦和支局長、東京本社社会部長、編集局次長を経て、2002年に東京本社編集局長に就任した。2004年には取締役に、2006年6月には常務取締役と主筆に就任した。
常務デジタルメディア担当だった2008年、自身の管轄下で毎日デイリーニューズWaiWai問題が発生した。担当部門の最高責任者であったが、同年6月25日、代表取締役社長に就任し、処分がおこなわれなかったことで批判を受けた。6月27日、役員報酬(全報酬ではない)の10%(1カ月)返上を発表した。

2010年2月8日、小泉純一郎元首相の秘書官だった飯島勲の名誉毀損容疑で書類送付[2]。 


▲:昔は・戦前は太平洋問題調査会というのがあった。

 今は、アジア調査会というのがある。今は、もう一人有名なゲス野郎・五百旗頭真が会長に就任している。このアジア調査会というのは、要するに、アメリカによる日本支配のための公然組織のようなものである。会長が五百旗頭、副会長が日本人変態報道で有名な朝比奈豊、ときているのだから、この組織がアメリカの意のままに動く「反日組織」であることは明瞭である。
 コリアンマンセー主義も、そのアメリカから命じられている運動のほんの一つに過ぎない。


私利私欲・出世のためなら日本人を踏み台にしても構わないという連中の集まった組織・アジア調査会

http://www.aarc.or.jp/member.html

もう一つ、毎日新聞と密接に結び付く組織がある。金子アグネスチャンで有名な日本ユニセフ。
日本ユニセフ・アジア調査会・毎日新聞……やっていることはどれも同じなのである。