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2016年6月25日土曜日

帯広 真鍋庭園

 人は思いもよらない小さな出来事の影響を受けて、生活が一変する、ということがある。
 前にも書いたように、私はこれまで一度たりとも「ガーデニング」なんぞというものに興味を抱いたことはなかったし、伯母たちを連れての・というか伯母たちのリクエストに単に沿っただけの庭園訪問というものが、私にいささかなりとも影響を与えるなどとは考えてもみなかった。
 ところが、である……。
 ヒトコトで言えば、そして余りにも人口に膾炙し卑近な言葉となってしまってはいるけれども、それは「癒し」を、しかも「圧倒的な癒し」を与えてくれるものだったのである。
 庭園を見ている、ただそれだけで、心が癒される、心が、それこそrestful timeの中に入ってゆく。まぁ、単純に言ってしまえば、私も年をとったということなのだろう。

 このブログも以前の私のブログもそうだけれども、色調は緑にしている。緑が最も心を落ち着かせてくれる、それは単に色彩心理学の教えに従っただけのことである。本当はもう少し濃い・深い緑色にしたいのだけれども、そうすると見ているうちに眠くなってしまうのでこの程度のライトグリーンにおさめている。

 ブログの色を緑にする習慣を持っていても、緑の庭園を眺める、という習慣を私は一度たりとも持ったことはなかった、これまでは。
 ところが、真鍋庭園で夢の中の緑の世界に漂っているうちに、すっかりこのような緑の園が好きになってしまった、bewitchedというやつである。

 ということで、札幌に戻ってから、ホームセンター通いをして、雑草だらけの庭を「緑の園」に少しは近づけることができないか、奮闘している。もちろん、あんな高名な庭園のようになるなんて大それた夢は持ってはいないけれども、少しは眺めているうちに心を癒してくれる庭を造りたいと思っている。
 作業は朝と夕、そして休日の私の自由時間のほとんどすべてを「奪って」いる。
 そのため、今後もブログを追加する機会は減ることだろう。
 巻芝を買ってきてそれを広げる。しかしその前に、雑草や、地下に張っている「地下茎」を除去しなければならない。大量の枯れ枝や枯草も除去する。あれやこれや、にわかに始まった庭仕事にはいろいろな作業が待っている。
 しかし、庭を眺めながら、次の作業についてあれこれ愉しく考えている自分に気づく。
 少しは緑の芝生が広がり、あそこに土を入れて、あそこの雑草を抜いて、あそこの土を整地して……などと考えると飽きない、というか、ゆっくりと満ち足りた時間が流れてゆく。
 これがガーデニングをやっている(主に)老人たちの歓びなのだと気づいた。

 モネは自分で作業して、ジヴェルニーの庭、広大な庭を造り上げていった。あそこまで手を加える、土地を変えてしまうことには、周囲に住む農民たちからの抵抗もあり、随分とすったもんだがあったらしい。
 以前は、そんな面倒な庭仕事はすべて庭師たちに任せて絵を描いていたほうがよかった、どれだけ多くの絵画がモネが庭仕事に打ち込むことによって「描かれずに終わってしまったことだろうか」と、私は考えていたけれども、今なら少しはモネの気持ちが理解できる。
 庭仕事は、庭を造るということは、絵を描くと同じようなものなのである。キャンバスに世界を造りあげるか、目の前に世界を造り上げるか、ただそれだけの違いしかないのである。

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