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2016年4月13日水曜日

墓活 赤瀬川原平

 毎日新聞で読んだ、「男の気持ち」を引用。

男の気持ち
最後の待合場所 埼玉県志木市・中島武夫(無職・86歳)
毎日新聞2016年4月12日
 妻が末期の悪性リンパ腫から生還し、老老介護を始めました。でも私が食道がんを発症。老老介護は無理となり、妻を特養ホームにお願いしました。
 私は1日おきに妻を訪ねましたが、がんは食道から大腸へと転移。大腸の手術は成功だったものの肝臓と肺への転移が発覚しました。数種の抗がん剤は効果なく、主治医からさじを投げられました。ソーシャルワーカーから緩和ケア病棟を紹介され、病状が悪化した時に入院する手はずを整えました。
 心配だった妻が特養に入居できて安心と思ったとたんに私にがんが回ってきました。しばらくはタクシーに乗って妻を見舞いましたが、最近はそれもかなわず、私の病状を妻に知らせるべきか迷っています。
 1991年、退職金で墓を造りました。高台で眺めが良く、ゆったりと永眠できる武蔵嵐山の公園墓地です。学校の後輩である郷里の菩提(ぼだい)寺の住職に生前戒名をいただき、墓誌に赤字で刻みました。草取りの労力を省くため、御影(みかげ)石を敷き詰めました。
 1年に2、3度、墓地を訪れましたが私たち夫婦はその都度「ここが最後の待合場所」と確かめ合いました。どちらが先か後か分かりませんが、必ず一緒になるので待つと約束しています。悲しませないために見送ってやりたいと思っていますが、どうなるでしょうか。
 <中島さんは3月23日に旅立たれました。入院前に投稿された絶筆をご遺族の了解のうえで掲載しました>


 最後の待ち合わせ場所、最後のデート、永遠のデート、ということか。
 86歳という高齢になるまで、奥さんと時を共有できたのは、とても幸せなことだろう。
 墓、といえば、最近、赤瀬川原平の本を読んで、その中に不思議な墓の話があった。
 茅野市でのことである。

「墓活」論 赤瀬川原平 (2012年)
P58~
 その後(諏訪神社の御柱祭を見物した後)仲間で手分けして、茅野の町の路上観察をした。
 地元の人が一人ずつ案内でついてくれた。
 ぼくと歩いたのはKさん。
 都市とは違い、回る所がどこも土臭い。
 土臭いし、石臭い。
 畠の道には、古い石の遺物がたくさん立っている。
 道祖神だったり、お地蔵さんだったり、そのお地蔵さんも馬に乗っていたり、立膝をついていたり、どこか珍しい。
 Kさんに導かれて、村の小さな広場に行った。
 広場の何かはんぱな位置に、妙な形の石造りの台がある。
 葬儀のときの葬列がこの広場をぐるりと回って、柩をいったんその石の上に置いて、それからまた火葬場の方に行くらしい。
 何故だかはわからぬが、昔からのしきたりでそうなっている。
 たぶんこの地の神への報告ではないだろうか。
 そんな場所を見るにつけ、この土地は原始の神と太いトンネルで繋がっている、という感を強くした。
 そもそも御社というのが、神の原始そのものだ。
 ただの土手の景色と思ったが、人の頭ほどの、あるいは子供の体ほどの石ころ群
が、置き方は乱雑ではあっても、ただの乱雑とは違う。
 何かしら、それらの石が沈黙を抱えているという感じなのだ。
 それが大昔の墓の群だった。
 いまでは人の名はもちろん、時代もまったくわからないが、大昔の墓石群だということだけは伝承されている。
 その土手の隣の方には、少し新しい石の群があった。
 小径をはさんで、そちらの方にはどことなく人の気配がする。
 そこからがいま使われている墓地らしい。
 Kさんはそのうちの数個の石を指して、この辺がうちの墓だと、こともなげにいう。
 え!? と驚いた。
 やはりほかと同じく、人の頭ほどの石がごろごろとあるだけ。
 区画も何もされていない。
Kさんはそれらの石を指しながら、これがうちの爺さん、この石はこの間死んだ弟……。
 もう一度見るが、ただの石ころだ。
 その表にも脇にも文字は何もない。
 でも最近は、名前を書く人もいるよ……。
 わからなくなるから……。
 そういわれて周りを見ると、石ころの表面に「晴子」と、それもペンキでただ記していたりする。
 よく見ると、脇に簡単な花びんを置いた石もあり、中には卒塔婆を一本だけ立てた石もある。
 でもだいたいはただの石ころで、それらが、ただ土手の斜面にばらばらと、無作為に広がっている。
 土手のその先には、石ころの群に交じって今ふうの三役重ねの墓石がぽつぽつとあり、もう一つ小径をはさんだその先は、その今ふうの墓だけがぎっしり並ぶ、いわゆる墓地になっていた。
 古代から現代までの、見事なグラデーション。
 とはいえ現代のKさんも、ただの石ころだけの、古代の中にいる。
 このあまりのアバウトな感覚に、しばらく考えてしまった。
 その場所に勝手に置いた石ころを、一族の記憶だけで墓石としている。
 ペンキで名を記したとしても、いずれは消える。
 かすかに残るのは記憶だけで、正に文字のない伝承だけの世界だ。
 たしかに、これでいいはずなのだ。
 人生は一つ一つこの世に生れ出て、一つ一つ消えていく。
 墓が残るとしても、それはしばしの間で、いずれは消える。
 何という真実。
 そうは思ったものの、しかし現実、墓活ははじまるのである。


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