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2016年3月18日金曜日

洲之内徹紀行・軍艦島

 近所の「行き付けの」風呂屋の入口には旅行広告のシートが置かれた棚があるのだけれども、ある日そこに軍艦島の写真を見つけた。





 軍艦島については、洲之内徹の本の中に出てくる。
 彼は1週間ものあいだ、一人の写真家と共に、この軍艦島で過ごした。小中学校の体育館(もちろん廃校の)にテントを張って、二人で1週間過ごしたのである。
 洲之内徹は、この島での1週間の経験について、あれこれ面白いことを書いていた。

 いつか、いつかは、この島を訪れてみたいと、彼の本を読んで以来私はずっと思っていた。
 そして旅行のチラシを偶然見つけて、全て旅行会社の人間が手はずを整えてくれることを知り、渡りに船とばかりに申し込むことにした。
 そのうちいつか、車で九州旅行をして、そのときに軍艦島を訪問しようと思っていたのだけれども、車で遠い九州まで行くのは来年か再来年かまたその先になるかもしれない。去年も九州に車で行ってきてはいるけれども、その時には中津市の「火葬場」と別府市の佐藤渓美術館を見ること以上には時間を割くことはできなかった。長崎の軍艦島に行くには、余分に2日か3日は必要である。ならば九州をゆっくり見て歩くことのできる、そう、来年か再来年には行けるんじゃないかな……と思っていた。
 しかし、来年再来年私が生きている保証は、冷静に考えてみれば、まったくどこにもない。
 だったら、3泊4日の短い旅でもいいから(観光できるのは実質2日間だけの弾丸旅行)、この団体旅行に加わって軍艦島を見てこよう、と決めたのである。
 ハウステンボスには全く興味が無かったし(実際私はここに行かないで一人で佐世保に行った)、三池の炭鉱遺跡にはさして期待はしていなかったし(いい意味で裏切られた)、大浦天主堂は既に2回も行ったことがあり、もう興味は無かった(ここよりも天草地方を車で回ったときに観た幾つかの教会の方が魅力的だった)ので、私にとって旅行の目的は唯一軍艦島だけだった。








▲:この旅行、結局、”博打(ばくち)”のようなものである。
 つまり、軍艦島に上陸できなければほとんど意味のない旅行なのだけれども、上陸できないことが年間100日あると港の船着き場で放送が流れていた。出航できないか、出航できても島に上陸できないことが100日。かといって、予約は常に満杯であり、その予約の日に乗船できなければ次の日に乗る、ということもできない。
 その日にならなければ島に上陸できるかどうかは全く不明。
 ということで、”博打”旅行なのである。
 私は、運よく、上陸することができたけれども。