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2015年10月25日日曜日

Day-5の3 雫石プリンスホテル

 あの、秘湯の蒸ノ湯温泉ですら、全館でWi-Fiが使えたというのに、このホテルでは、ロビーでしか無線LANが使えないという。これが、プリンスホテルの品質、というものなのか、ただただ呆れてしまう。いまどき、名のあるホテルでWi-Fiが使えないということを
「恥ずかしいとは思わない」
 のはプリンスホテルだけだろう。
 今日は、団体のバスが6台、入っているという。老人たちばかりの観光旅行らしい。
 Wi-Fi, 無線LANの設備などたいして金のかかる設備でもないだろうに、それをしないプリンスホテル。今でも堤義明の指導下にあるのだろうか。
 堤義明といえば、禁煙の赤坂プリンスホテルのロビーを葉巻(?)を吸いながら歩き、その後ろを灰皿を手にした社員が付いて回ったという雑誌記事を読んだことがあるけれども、そういう社風なのだろうか。

 夏油温泉の見物を終えたなら今日の観光は終わりであり、明日は岩手県立美術館、岩手県立博物館、に行く予定だったので、どうしても盛岡周辺、あるいは盛岡に泊まるのが便利だった。

 夏油温泉に向かう前に、iPhoneを使いヤフートラベルのサイトで盛岡のホテルを検索した。
 どれもどこも、満足できなかった。この値段で盛岡市内に泊まるくらいなら……雫石のプリンスホテルに泊まった方がよほどマシに思えた。
 しかし、そこは、雫石、である。


●ウィキより引用

全日空機雫石衝突事故
 は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。(中略)
 (衝突の)直後、双方の機体はともに操縦不能になった。全日空58便についてはしばらく降下しながら飛行していた。のち、水平安定板と昇降舵の機能を喪失していたため、降下姿勢から回復できず速度が急加速し、音速の壁を突破したことにより約15,000ft(約5000m)付近で空中分解し墜落、搭乗していた乗員乗客162名全員が死亡した。その時の音速の壁を突破した際のものと思われる衝撃音が盛岡市内の病院屋上など、墜落地から離れた場所でも確認されている。
衝突直後には大きな白い雲状の物が発生した事実を多くの者が目撃しており、写真撮影した者も複数いた。事故発生後の写真に関しては、毎日新聞社発行のサンデー毎日1971年8月15日発行の緊急特別号の表紙に、「全日空機 散る」 との見出しと併せ、空中で自衛隊機と全日空機が接触し、機体が空中分解後に全日空機が白いジェット燃料の白煙を曳きながら墜落してゆく瞬間の写真が掲載されている。 偶然近くの青森県上空を飛行していた東亜国内航空114便パイロットや、花巻上空を飛行していた全日空61便のパイロットが、58便からの状況を把握できず混乱した通信を傍受していたが、それもすぐに途絶えてしまった[2]。なお、操縦士らは地面に激突して大破した機首の中で発見された。また機体が空中分解したため、事件現場の近傍で働いていたり通行していた者は後年の番組等で「音がして外を見たら、(胡麻)粒のようなものが落ちていた」と語った。乗客たちは安庭小学校のある西安庭地区を中心とした雫石町内の各地に58便の残骸とともに落下し、極めて凄惨な状況で発見された。この際、落下した旅客機の車輪の残骸が民家の屋根を貫通し、当時81歳の住民の女性が負傷した[2]。
墜落の衝撃による火災はなかったため比較的早く犠牲者の身元が判明したが、遺体は高速で地上に叩き付けられため、極めて凄惨な状況を呈していたという[2]。
(引用終わり)


 1971年というから、私が13歳のときである。当時のテレビでの報道くらいしか記憶にはないはずなのだが、5000メートル上空で飛行機が空中分解して、そこから地上に落下して全員が死亡して……その遺体の悲惨な状態についての報道は、耳が記憶している。

 日本各地を車で、あるいは列車や飛行機で旅するようになっても、絶対に、この雫石地方には足を向けたいとは思わなかったし、その近くにある「小岩井農場」についても行くつもりはなかった。
 しかし、何かとウワサの多い「慰霊の森」に行くわけではない。
 それに、盛岡のホテルには泊まりたいと思わせるようなところは皆無である。
 ならば、ヤフートラベルで選択することのできるこの雫石プリンスホテルに行くしか、なかった。
 夏油温泉から降りてきて、県道13号線を北上し(NHKFMで、ゴスペラーズのナントカ)、途中でガソリンを入れ夜食の弁当をコンビニで買い(当日予約したので夕食を予約することはできず、朝食のみ頼んでいた)、国道46号線に入った。
 秋田市と盛岡市を結ぶこの国道46号線はとても混雑していた。後で調べて判ったけれども、秋田と盛岡は走行距離でたった110キロしか離れていないのである。札幌と旭川(120キロ)よりも近い。
 秋田・盛岡のどちらにも、少なくとも10回以上は来ていたけれども、その2つの都市の間に存在している雫石という<噂のスポット>に足を踏み入れるのは、今回が生まれて初めてのことだった。....そして、もう2度と行くことはないだろう。


http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20151018_1

慰霊の森で悪ふざけ動画 雫石・全日空機事故現場
岩手日報 2015年10月18日   
 動画配信サービスのツイットキャスティングで、県外の男性らが12日夜~13日未明に、雫石町西安庭の慰霊の森で悪ふざけをしている動画を生中継で配信していたことが分かった。慰霊の森は、乗客乗員162人が犠牲になった1971年の全日空機衝突事故現場。犠牲者を冒とくする行為に遺族は激怒している。
 同サービスの利用者は1千万人超。今回の動画は複数の男性が盛岡市のJR盛岡駅から慰霊の森を訪れる様子を配信している。
 録画された一部は現在もインターネットで閲覧でき、派手な衣装を着た1人の男性が「ハロウィーン企画でふざけ倒す」「笑える心霊配信」などと発言。閲覧者によると、アイドルの曲を大音量で流したり、慰霊碑の前でろうそくを片手に「ハッピーハロウィーン」と言うなどしていた。
 盛岡西署は配信当日、男性らを2度職務質問したが、違法行為がないことを確認。町が13日に現地を確認したところ、落書きなどの被害はなかった。(引用終わり)



 ホテルの7階の部屋だった。部屋にはいったときには既に外は薄暗くなってきていたけれども、岩手山の輪郭ぐらいは見ることができた。

 テレビを見ながらコンビニ弁当を部屋で食べてから、1階にある温泉露店風呂に入る。ここは「内風呂」は無く、露天の大きな風呂のみである。幸い、中国人団体客やコリアン団体客はその日はいなかったようで、落ち着いて風呂に入ることができた。もっとも、コリアン文字の張り紙を見かけたから、普段はコリアン団体客も少なくないのだろう。
 ロビーの椅子に座ってスマホをやっている宿泊客が何人かいた。部屋ではWi-Fiが使えないという不便なホテルなのだから、こんなところでやるしかないのだろう。
 もっともLTEは部屋で使うことができる。ホテルの目の前に広がっているゴルフ場の客が、コースでも携帯電話を存分に使えるように携帯電話会社が電波塔を近くに建てているからなのだろう。

 ツィンの部屋のベッドのうちの窓側のものに横になる。窓は壁一面のもの。部屋のドアの灯りのみ残しているので、その光を受けて壁一面の闇が広がっているのが見える。

 カーテンはしない。
 何か、不気味なものを感じるのである。
 カーテンをしたなら、窓の向こうに影が――人の顔が浮かんでいるような、そんな「妄想」に囚われて、カーテンを閉めることができない。
 雫石の上空に、青黒い蝶がユラユラと飛んでいて、カーテンを閉めるとそれが一斉に窓ガラスに吸い寄せられるようにして、ガラスの向こう側にとまる。すると、蝶は一瞬にして人の顔に変わる。墜落事故で死んだ160人あまりの人の顔が、窓いっぱいにある、ような、そんな幻想が頭から離れない。
 去年は日航ジャンボ機墜落の現場を歩いた。本当はまだ現地は開放されておらず、そのことを知らないでたった一人であちこち山肌を歩いたのだけれども(遺体の見つかった場所ごとに木札が立てられていたりした)、少しも、恐ろしい、とか、不気味だ、とかといった気持にはならなかった。
 ところが、慰霊の森から数キロ離れているというのに、このホテルの7階の窓から外の漆黒の空を見やっていると、それだけで「なんとなく寒気」がしてきたのである。
 要するに、私にとってはやはり、雫石、というのは「合わない」のだろう。これまで「本能的に避けてきた」というのは、こういうことがあるのを予見していたからなのだろう。東北のどこを歩いても「寒気」など感じはしなかった、川倉賽の河原であろうと恐山であろうと、2万数千人があっというまに命を落とした津波沿岸地域であろうと。しかし、矢張り、この雫石、だけは異なっていた。
 全日空機衝突墜落事故に関する誰かの記事(ネット記事?)のヒトコトが忘れられない。
「(死亡した162人の)彼らは、自分たちが死んだことを知らずにさまよっている……」
 とかなんとか。
 They don't know that they are already dead....and that's why they are still wondering in the dark air....in the form of butterflies ?

 死者と蝶を結びつけるイメージ・妄想が頭から離れないのは、先日読んだ宮下規久朗の本のせいもあるし、この夜の2日前、山形県立博物館で偶然見た・見てしまった、蝶と蛾の展覧会の影響もあっただろう。

 私の記憶が正しければ、こうした蝶の標本は、生きている蝶に防腐剤を注入し、血液・体液が生きている蝶の力で全身に運ばれることによって防腐剤も全身に浸透し、腐らない標本となる、はずだったと思う。そうすることによって、翅のすみずみにまで防腐剤が行きわたり、永遠に色と形を失わないようになる。
 つまり、標本箱の中で輝いているこれらの蝶は、自分が死んでいることを知らないのである、あっという間に気を失い、地上に落ちて肉体を失った事故機の百数十人の乗客たちと同じように。


 ベッドに横になって、寝惚け眼で窓を・壁一面の黒い外の闇を見る。窓には何も張り付いたりなどしてはいない。
 寝返りをうち、窓に背を向ける。
 すると、不思議な「感覚」がヒタヒタと身体に染みてくる。
 漆黒の闇の空から、青黒い蝶たちがヒラヒラと降りてきて、壁一面のガラス窓にとまり、次の瞬間には白い顔に変わる。百数十もの顔が、びっしりとガラス壁に張り付き、じっとこちらを見ている。
 水木しげるか楳図かずおの世界である、つげ義春の世界ではない。
 何か不安になり、意を決して寝返りをうち、窓を見る。
 そこには、もちろん、百数十もの顔などは、ない....ただ、一瞬にして消えてしまったという奇妙な確信めいたものを自分の心の中に発見するのみである。

 そうやって、窓を見つめたり、窓に背を向けたり、勇気を奮い立たせてまた寝返りをうち窓を見つめたり、そんなことを繰り返していて、なかなか寝付けなかった。
 体が冷え切ったので、風呂に入ろうと思い、部屋に置かれている手拭とバスタオルを持って、1階の風呂に降りる。外風呂(露天風呂)しかないのを忘れていた。裸になって、外に出ると、急に激しい悪寒に襲われ、身体がガクブル状態になった。風呂に浸かっても、そのガクブル状態は長く続いた。きっと、外気の冷たさで悪寒が急にやってきたのだろう、それ以外の理由はきっと存在しないのだろう。
 部屋に戻りベッドに横になる。
 窓を見つめたり、窓に背を向けたりを繰り返し、熟睡などほとんどできない状態で、夜明けを迎えた。 




 上の写真は、山形県立美術館でのもの。誰かが、
「蝶のコレクターという連中は例外なく変人である」
と言っていたけれども、私も全くその意見に賛成する。






 夜が明けてから外を見ると、空低くまで雲が下りていて、岩手山の姿も見えなかった。やがて時間が経つと、ゴルフ場には大勢のゴルファーがやってきて(この日は日曜日だった)、雲も流れ、岩手山の山容がはっきりと見られるようになった。写真だと迫力がないけれども、実際に目にする岩手山は目に迫ってくるような威容を誇っていた。


 朝、旅行中読み続けていた本の表紙を見て、どうして<蝶>が、強迫観念のように私に昨晩襲い続けていたのか、もう一つの理由を理解した。