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2015年4月9日木曜日

日展の死臭老人画家の群れ

 そういえば大阪市立美術館で日展を見たときのこと。
 ロビーで、<新生日展>の、ちゃんとした<選考風景>というのをビデオで流していた。金まみれの<書>の選考とは異なり、油絵はこうして委員が見て選んでいるという証拠のつもりらしかったのだが……。

 確か、3段の雛壇。それぞれ3人か4人の老人が腰かけている。前列の一人は杖を床について手を置いているようだった。
 もう、棺桶に片足を突っ込んでいるような疲れた老人たち。どれも渋茶を飲んだような、「もう人生に疲れ果てた」という夢も希望もない顔をしている。来年にはその半数が両足を棺桶に突っ込んでいても不思議ではないような、既に死臭を放っているような「老人画家」ばかり。そんなのが、10人前後、雛壇に坐っている。
 そこに、若い男が、応募作を2人がかりで持ってくる。100号の大作だから、重いので、2人がかりでやっと、死臭老人画家たちの前まで持ってくる。
 すると老醜画家たちの何人かが、さっと手を挙げる。中には1、2秒しか見ないで手を挙げるもの、あるいは視線をあらぬ方に向けながら手だけ挙げるものもいる。これも若い男が老人画家の前に立っていて、挙がった手の本数を数える。選考はその数秒。数秒後には、別の若い2人の男が別の作品を抱えて持ってくる。そんなことが次々に繰り返される。
 当然だろう、1000点以上の作品の応募があり、700点以上の入選作を決めるというのだから、ほんの数秒、死臭老人画家たちが目にしただけで手を挙げたり挙げなかったりを即座に点数化して入選を決めでもしなければ、「消化できない」。
 この、夢も希望も、恐らく絵画への情熱も全く失せた死臭老人画家たちが、日展という「権威だけのアホ展覧会」の入選作を決めている。
 道理で、国際的にも恥ずかしい暇潰しのゴミ絵ばかりが、日展に展示されているわけである。
 座って腕を上げる、それさえも大儀そうに見える。総入れ歯の具合が悪いのか渋面をつくり、前立腺肥大で座っていると尻が痛いのか不満げに口を歪めている。絵に対する愛情もへったくれもないという強い意志がそれらの老人たちの様子からは確かに伝わってきていた。

 福田千惠とか藤森兼明とか中山忠彦とかがいなくならない限り、日展は世界に恥を晒す日本の年中行事ということになるのだろう。
 上の3人が消えたとしても、また同じような連中が同じ愚行を続け、それは世の終わりまで続くのかもしれない。


ホキ美術館 と 日展 に贈るヒトコト
< どんなに立派なギャラリーに飾ってみても ゴミはゴミ >