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2015年4月14日火曜日

『マネーの闇』 一橋文哉

『マネーの闇』

P140~

 関西の暴力団関係者の間では事件直後の早い段階から、韓国軍隊経験者のヒットマンや香港マフィアの殺し屋など、さまざまな実行犯の名前が囁かれ、入国経路から下見こ現場待機場所、国外逃亡ルートまで具体的な情報が流れていたのは確かである。
 ところで、副頭取はなぜ、射殺されなければならなかったのか。
 前述したように銀行内のトラブルが高じたという内約説のほか、バブル再燃論者として闇社会に対して情実融資の約束が果たせなかったことへの「見せしめ」説、強気の債権回収が融資先の反発を買って、逆襲を受けたとする「闇討ち」説など、犯行動機についてはさまざまな説が乱れ飛んでいた。その中で最も有力なのが、小山と交流があった和歌山市内の不動産・デベロッパー会社・S土地開発(S社)とのトラブル説である。
 S社は山ロ組系暴力団の直系組長の妻が役員に名を連ね、本社はその暴力団事務所と同じ場所にあり、地元ではフロント企業と見なされていた会社だ。
 このS社に対し、阪和銀行は92(平成4)年11月、S社が所有する休業中のホテルや、組長の妻が所有するテナントビルを担保に約4億円の融資を行ったほか、「S社本体や、S社と繋がりのある暴力団関係者が経営する不動産会社に貸し付けた数十債円が不良債権化し、その回収をめぐって副頭取と揉めていたらしい」(ベテラン捜査員)という。
 この不明瞭な融資の背景には、実は、後に「金融無法地帯」とまで呼ばれた和歌山特有の複雑な事情が隠されていたのである。
●関西新空港をめぐる利権争奪と重大疑惑
 和歌山市の中堅デベロッパー会社・和興開発は、前出のS社社長の父親が経営し、S社の元請け業者に当たる。関西新空港開港に伴い、県は空港近隣に大規模ベッドタウンを建設しようと、総工費約4000億円という宅地開発事業「フオレストシティ計画」をぶち上げたが、その主要工事部分を受注したのが和興開発であった。
 ただ、工事の規模や技術水準などから言っても、単なる地方の土建業者に過ぎない和興開発が請け負うには無理があり、この受注をめぐっては当初から、地元政財界や闇社会が絡み合った”黒い噂”が流れていた。
 実際、県内トップの金融機関・紀陽銀行が和興開発に800億円近い過剰融資を行い、そのうち約200億円が使途不明になっていることが、後になって発覚。紀陽銀行のオーナー頭取・山口寿一の個人口座に和興開発から2億円の入金があったことが表面化し、山口が引責辞任に追い込まれるなど一大疑惑に発展した。

 疑惑は93年11月、大阪地検特技部が和興開発社長を脱税容疑で逮捕して事件となった。事業は凍結され、用地買収や開発に乗り出した不動産・土建業者には、借金と荒地の山が残された。阪和銀行は紀陽銀行を隠れ蓑に和興開発に融資するなど深く関与しており、小山の存在が疑惑解明に繋がることを恐れた闇社会が暗殺に及んだ、というのである。

 「副頭取が聞社会の面々と幅広く繋がりを持ち、フロント企業に融資し、銀行の醜聞揉み消しなど裏の仕事を一手に引き受けていたことは、業界で有名だった。何か銀行の醜聞揉み消しを和興開発社長に依頼した見返りに、和興のダミー・S社に過剰融資したと見られるし、副頭取がフオレスト疑惑に関知していないとは思えない。いずれにせよ、射殺事件とフオレスト疑惑は裏で繋がっている可能性が高いと見ている」(捜査関係者)
 阪和銀行にはこのほか、小山の出身地で、同行発祥の地でもある和歌山県田辺市の天神崎リゾート開発計画なる疑惑もあった。
 県自然公園の天神崎はもともと、開発が認められていない土地である。が、89年に県議や地元選出の国会議員が公園指定区域解除のため動いているとの情報が流れると、関西各地の不動産業者らが大挙して押し寄せ、上地の買い占めに走った。関西新空港開港による観光客増大を見込んでの投資だったが、地価の急騰で資金不足に陥った業者たちは政治家らを通じて、阪和銀行など地元金融機関に追加融資を求めたとされている。
 ところが、リゾートマンション群が着工する直前、環境保護運勘案や周辺住民らが猛烈な開発反対運動を始め、世論の後押しもあって、指定区域解除ができなくなった。
 そのため既に用地買収済みの業者は多額の借金を抱え、軒並み倒産寸前となった。見かねた県と市が坪10万円で買い戻す”救いの手”を差し伸べたが、最高買収価格が坪500万円と言われただけに、その差額分の損失は不良債権として金融機関に残された。こうした業者の中には山口組系暴力団のフロント企業が多数含まれていたのだ。
 これら不良債権回収をめぐるトラブル以外に、巨額の不良債権を抱えた系列ノンバンクの経営破綻問題を射殺事件の遠因に挙げる金融関係者も少なくない。
 預金高5000億円前後の阪和銀行には、阪和ギャランティ・ファイナンスと阪和リースの系列ノンバンク2社があるが、約840億円に上る貸出残高の5割以上が利払いさえ6か月以上滞っている状態であり、93年3月から借入先の48金融機関に対して、金利減免を要請するなど、経営は事実上破綻していた。
 さらに大阪ファイナンス、神戸ファイナンスという孫会社のノンバンク2社はより深刻な経営破綻問題に陥っており、阪和銀行にとって”炸裂寸前の爆弾”だった。


P147~

 1994(平成6)年秋、―発の銃弾が日本の金融業界を震え上がらせた。日本経済を復興させる夢を吹き飛ばし、間社会を蘇らせた瞬間でもあった。
 名古屋市千種区のマンション10階に住む住友銀行名古屋支店長の畑中和文が9月14日早朝、パジャマ姿で自室前のエレベーターホールの壁に右府をもたれ、右足を折り、左足は投げ出して座るような格好で、血まみれになって死んでいるのが見つかった。
 死因は《右頭部貫通銃創による出血を伴う広範な脳挫傷》(解剖所見)。遺体の状況から、愛知県警は何者かが約2メートルの距離から拳銃をI発発射し、銃弾が畑中の右目上から左後頭部を貫通し、《10秒以内に死亡》(同)させたことが分かった。
 畑中にほかの外傷はなく、自宅ドアが開き、新聞が放り出されていたが、室内に接客したり、荒らされたような様子はなかった。
 マンションの全扉は内側からしか関かず、正面玄関は完全オートロック方式を採用するなど防犯態勢は厳重だった。犯行当日も朝6時半頃に新聞が配達されて以降、誰も出入りした形跡はなかった。このため、捜査に当たったベテラン刑事は、こう語る。
 「犯人は新聞配達員の後をつけて建物内に入り、10階の非常階段で中に入れるように扉を少し開けた状態で隠れた。そして、朝刊を取りに来た畑中さんを引きずり出し、左手で襟を掴んで体ごと壁に押しつけ、頭に弾丸を撃ち込んだと見て間違いないだろう。冷静に水平に撃って1発で仕留めており、軍隊などで射撃訓練を積んだ凄腕のプロの犯行だ」
 畑中は1965(昭和40)年、大阪大学法学部を卒業後、住友銀行に入行。東大阪支店(当時はヤ虻支店)を振り出しに、主に本店の総務畑を歩み、すぐに総務部次長に就任した。87年4月から大阪市の梅田北口支店、大阪駅前支店、船場支店などの支店長を歴任、91年6月に取締役に昇格すると、‥‥11月からは名古屋支店長として単身赴任し、近く常務に昇進すると見られていた。
「エリートながら明るい人柄で、部下にも人望があった。彼を悪く言う人はいない」
 と行内の評判は上々で、個人的な怨恨の線は全く浮かんで来ない。
 ただ、畑中が事件直前、知人に「不良債権の処理には疲れ果てた。まだ、しんどいのがあるんや」と漏らしていたとの情報があることや、彼が総務畑が長く、総会屋対策を任されてきたことから、深刻な仕事上のトラブルがなかったかを重点的に捜査した。
 ところで、住友銀行名古屋支店と言えば、住銀・イトマン事件の主役・伊藤寿永光が出入りするなど、さまざまなトラブルを抱えていたとされる。
 伊藤は87年、畑中の前任支店長の紹介で住銀出身のイトマン名古屋支店長・加藤吉邦に食い込み、加藤を通じてイトマン社長の河村良彦に「2000億円プロジェクト」を持ちかけた。それが後にイトマンを食いつぶす大問題に至ったのである。
 そして、住銀名古屋支店長が伊藤に対して次々と多額の融資を行い、彼の犯罪スレスレの怪しげなビジネスを手助けし、支店の業績を飛躍的に仲ばしたことは事実である。
 だが、そうした業績の大半が焦げついてしまった。事件で闇の勢力を住銀に取り込んだ張本人の元会長・磯田一郎一派を追放した住銀が、一斉に強硬姿勢で臨んだイトマン関連の不良債権回収後でも、まだ名古屋支店には合計400億円余分も残っていたという。それらトラブル案件の後始末役として乗り込んだのが、ほかならぬ畑中だったのだ。



P168~
●エリート起業家の陰にいる仕掛け人
 東京・内幸町の帝国ホテルで2000(平成12)年1月31日、ベンチャーー企業のリキッドオーディオ・ジャパン(リキッド社、現・ニューディール)の東証マザーズ上場第1号を記念したパーティーが、各界から約1200人のゲストを招いて大々的に開かれた。
 二つの宴会用大部屋をぶち抜いた会場に設けられたステージでは、小室哲哉とつんくという日本の音楽界を代表する2人のヒットメーーカーがスピーチに立ち、「インターネットはレコード、CDに続く第三の音楽革命です。僕らも応援します」と高らかに宣言した。続いて、来賓として招待された幹事証券会社の日興誼券副社長・竹田啓をはじめ、大手レコード会社の東芝EMI社長・斉藤正明、エイベックス社長・依田巽といった大物経済人が登壇。次々と上場会社誕生を大絶賛する祝辞を述べた後、浜崎あゆみやSPEED、モーニング娘。ら当代の人気歌手が勢揃いして、歌やダンスでご黙いステームダを繰り広げ、総額3000万円余をかけた式典に華を添えた。
 主催者の同社会長・黒木正博と社長:大神田正文は、美人タレントの藤直紀香から花束を贈られ、小室とつんくによって両手を高々と掲げられて、満面の笑みを浮かべていた。この豪華絢爛なパーティーを演出したのは、「芸能界のドン」と呼ばれている大手芸能プロダクションの社長だった。彼の面子とショービジネスマン魂を賭けたパフォーマンスは大当たりし、その凄まじいパワーと人脈の広さを世に見せつけるものとなった。
 だが、本当は、この芸能プロダクション社長の陰にもう1人の”仕掛け人”がいた。その人物とは何と、住銀・イトマン事件で暗躍し、「闇社会のエース」との異名を持つ伊藤寿永光であった。伊藤と芸能プロダクション社長の2人はパーティー開催の数日前、東京・銀座の高級和食店で打ち合わせした際、こんな会話を交わしたという。
「小室は自分のコンサートの開演を30分遅らせて、顔を出してくれるらしい。これだけのメンバーを揃えて盛り上げるのですから、世間が注目して、株価も上がるでしょう」
「そうなってもらわんと、困るわな……」
 伊藤は珍しくあまり多くを語らなかったが、終始、上機嫌だったようである。
 こうした会話は、パーティーを開く本当の目的が、リキッド社の株価をつり上げるための一大デモンストレーションにあることをはっきりと示している。
 狙いは見事に的中し、新進のベンチャー企業ながらド派手なパフォーマンスや芸能界とのパイプの太さに関心を示した投資家たちは、一斉にリキッド社株を買いに走った。同社の株価は4日後には何と、1221万円の超高値を記録した。
 ところで、リキッド社とはいったい、どんな業務を行う企業なのか。社名から言えば、インターネットによる音楽配信システムの草分けとされる米国カリフォルニア州の企業、リキッドオーディオ・インクの日本法人を連想させるが、実は、全く違う。
 1998(平成10)年7月に設立、米国のリキッド社とライセンス契約を結び、一応、同社の音楽配信システムを日本で販売する業務を主たる設立目的としている。だが、設立から1年余経った99年12月段階での売上高(6か月分)はわずか約33万円にしか過ぎず、とても株式を公開するレベルに達しているとは思えなかった。
 ところが、会社のイメージからIT(情報技術)バブルの波に乗り、300万円という強気の公募価格も驚きだったが、その2倍以上の610万円という初値が付いたのだ。
 東京大学出身で学生時代から起業していたとはいえ、大神田は31歳3か月と上場企業で最年少社長だ。会社設立から1年5か月と実績がない赤字企業であっても、IT関連事業なら確実に儲かるというムードが株式市場に広まるのに、さほど時間は掛からなかった。ただ、こうした現象に関心を抱いたのは、一般投資家だけではなかった。
 前章で述べたように、バブル崩壊で大事な金づるを失うなどかなりのダメージを受けた闇の紳士たちが、新たな儲け話の匂いを嗅ぎつけ、挙って参入してきたのである。
 闇社会の面々はこの時、既に投資事業組合という組織の出資者となって、株式市場で荒稼ぎを始めていた。詳細な手口については、後述するライブドア事件の項に譲るが、彼らは第三者を間に挟んで投資事業組合を設立したり、別の組織が運営する投資事業組合に正体を隠して出資。それを受け皿にして、標的とする企業の転換社債を引き受け、素早く株式に転換する。その後で、株価上昇に繋がるような情報や企画を意図的にマスコミに流すなどして株価をつり上げたうえで、高値で売り抜けるIという手法を駆使していた。
 バブル崩壊で多額の負債を抱え、さらに捜査当局にマークされた彼らは、表立って資金稼ぎをするわけにはいかなくなった。そのため、匿名で出資できる投資事業組合に目をつけ、一般投資家になり済ます「変身の術」に打って出たのだ。


P189~
●錬金術3点セットの秘密
 投資事業組合に株式交換、株式分割の3点セットを駆使したライブドア流錬金術は、前述したように、野口が編み出したものであった。それにしてもなぜ、この方法を採れば、株価が急騰して、大金を得ることができるのか。
 まず、投資事業組合の匿名性を活用した点が、錬金術を成功させた最大の理由だろう。この事業組合は民法上、地域や職場のサークル活動の集まりや学校の同窓会と同じ「任意団体」に当たり、登録や届け出の義務はなく、出資者名や資産運用の実態を情報公開する必要もない。
 そんな曖昧な団体が株式市場に登場したのは、1996(平成8)年の金融ビッグバン宣言による影響と見られている。日本の企業はそれまで経営の安定化や乗っ取り防止策のため、同じ系列の企業同士やメインバンクと呼ばれる金融機関との間で株式を相互に持ち合ってきた。ところが、日本の企業がバブル崩壊後の不況から脱せられない原因が、この株式相互持ち合いの慣習に安住した独特の経営体質にあるとの批判が高まってきた。
 当時の政官界が盛んに「規制緩和だ」「構造改革だ」と声を上げ、旗を振っていたことも後押しし、株式持ち合いは一気に解消に向かったが、その際、金融機関が放出した大量の株式の受け皿となったのが、機関投資家らが結成した投資事業組合なのである。
 翌97年の独占禁止法改正で持株会社が解禁され、さらに米国の圧力を受けて、M&Aを円滑に行えるようにするための制度整備が進んだ。株主の利益や権利を最優先する米国流マネーゲーム型経済路線を選択することが、日本経済の復活に繋がるという考え方が蔓延し、事業組合がM&Aに利用されるようになった。修羅への道の第一歩である。
 その先兵となったのがIT起業家を中心とするベンチャー企業であり、ITバブル崩壊で彼らの大半が表舞台から姿を消すと、機関投資家らはM&Aを専門とする投資ファンドなどに資金を提供するようになった。その際、資金提供者の正体がバレないように投資事業組合を利用したのである。何より、出資者を集めやすい利点がある。
 そうは言っても当初、事業組合をM&Aに利用したのは、ほとんどが外資系金融機関であり、「ハゲタカファンド」などと呼ばれて、すっかり有名になった海外に活動拠点を置く投資ファンドであった。彼らは英領のバージン諸島やケイマン諸島などタックスヘイブンに複数の投資事業組合を設立、ご肘させることで出資者を隠すように工夫した。
 野口はおそらく香港の外資系金融機関との交流を通じて、そうした手法を学び、活用したと見られるが、今や、闇の紳士たちの常套手段と化していると言えよう。
 次に株式交換によるM&Aだが、巨額な買収資金を必要としないことから欧米では主流となっており、これもライブドアがいち早く採用した方式と言っていいだろう。
 現金がなくても株式交換するだけで次々と買収できるし、投資事業組合を噛ませて株式交換で買収すると、同時に自社株を売り抜ける好機を得られ、二重の利得がある。
 3番目の株式分割とは、1株を細分化して株式発行数を増加させることを指す。
 本来なら高額紙幣の両替と一緒で、株式をいくら分割しても、企業価値に何ら変わりはないはずだ。それが株式を分割するだけで株価が高騰するのは、新たに発行される株券を印刷するのに約50日かかり、その間は新株を売買できないため、空売りが行われる。その際、100分の1の資金で買えるから株を大量に買い占めることで、株価は一気に上昇。分割率が大きいほど、需給のバランスが崩れ、株価は高騰するわけだ。大半のIT企業が活用したが、大型分割を錬金術として確立したのはライブドアである。
 堀江は1972(昭和47)年10月、福岡県八女市で生まれた。共働き夫婦の一人息子だが、家庭不和で孤独な少年時代を送り、約20キロ離れた進学校まで自転車通学していた。現役で東京大文学部に入学し、在学中の96年4月にホームページ制作会社オン・ザ・エッヂ(ライブドアの前身)を設立、2000年4月には東証マザーズに上場した。
 高校時代の先輩にソフトバンク社長の孫正義がいて、彼の若い頃からの活躍ぶりを目の当たりにしていた。また、孫の弟でガンホー・オンライン・エンターテイメント会長の孫泰蔵が同級生だったこともあって、常に孫正義を目標に生きてきたという。
 ITバブル崩壊などで再三にわたり経営危機を迎えながら、ほかのIT起業家のように破綻したり追放されずに済んだのは、優秀な役員に囲まれていたからであった。
 中でも商業高校卒で税理士の資格を取った苦労人の宮内亮治と、彼が国際証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)からスカウトした敏腕証券マンの野口という2人がいなければ、前述した巧妙な資金調達システムは完成しなかったし、ライブドアの素早い上場もなければ、後の繁栄もあり得なかっただろう。
 野口は明治大学政経学部を卒業後、国際証券でベンチャー企業の上場支援を担当。宮内に誘われ移籍したオン・ザ・エッヂの上場を果たすと、その資金で投資会社キャピタリスタ(社名変更の末、現在は消滅)を設立し、代表取締役としてM&Aにのめり込んだ。
 彼は堀江と折り合いが悪く、02年にエイチ・エス証券に転じるが、その後もライブドアと繋がりを持ち、投資事業組合の設立や資金還流システムの構築を主導したのは、M&Aへの執着と、宮内との良好な関係が続いていたからに他ならない。
 その野口がライブドアに強制捜査が入った2日後の06年1月18日、六本木ヒルズから約1550キロも離れた沖縄の地で変死体として発見されたのである。
●沖縄のホテルで突然。切腹やした男
 その日午後2時半頃、那覇市の繁華街・国際通りに面したカプセルホテル3階の1室で野口は首や腹を切り裂かれて内臓がはみ出した状態でベッド上で発見された。救急車で近くの病院に搬送されたが、間もなく出血多量で死亡した。
 凶器の刃渡り11センチの包丁は血まみれのまま、野口の足元に放り出してあった。
 野口は当時、堀江の「懐刀」として数々の錬金術を編み出してきた頭脳と経験、ライブドアが集めた巨額なカネの行方を知る「金庫番」としての情報と人脈が注目され、ライブドア事件を解明する最大のキーマンと見られていた。
 しかし、沖縄県警は早々に自殺と断定し、遺体の司法解剖さえ行わずに、翌19日には現場にあった遺留品を遺族に返還するなど事実上、捜査を打ち切っている。