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2015年3月8日日曜日

坂東三津五郎 鈴木琢磨


 関西美術館巡りで神戸空港に行くと、玄関に巨大な灰皿雲智@海老蔵 の広告写真があり(例のボトル入り日本茶の)、見ているだけで気分が悪くなった。反日活動家の市川中車@香川照之といい、警官を殴って見栄を切る(?)バカ息子の中村七之助といい、阿呆の多い歌舞伎役者の中で、坂東三津五郎は数少ないマトモな男だったと思う、例の不倫再婚離婚問題は些末なことである。
 肺癌や食道癌は喫煙によるものが多く(殆ど)で、不摂生に問題があるけれども、膵臓癌は殆ど原因不明で、アルコール摂取とも関係ない。つまり、全くの不運としか言い様がない。
 その膵臓癌で亡くなった三津五郎は、こんな闘病俳句、というか、けれんみのない、淡々とその「日常闘病」を表現した俳句を詠んでいたのである。

月光の 薄きベールや 浮寝鳥


点滴と 空を左右に 獺祭忌


待宵も 良夜もひとり 光沁む


 どれもベッドの上の俳句である。

 抗がん剤をうち、やがてくる死を見つめている俳句である。
 2句めのもので、ベッドが窓近くにあることを知る。1句と3句では、病室に一人、深夜、部屋の明かりはなくカーテンを戻して、月明かりに浮かんでいる末期がん患者の姿が目に浮かぶ。膵臓癌は多くの場合、激痛を伴う。そしてほぼ全部の例で、カヘキシー、癌性悪液質(痩せ細ること)を伴う。死へと転がってゆく自分を感じながら、しかし、それでも、月の光に浮かんでものを思っている自分を、三津五郎は怒りや悲しみや絶望を超えて俳句の中に表現している。
 いい句である。
 そしてこんないい句を詠めるのは、間違いなく、いい男、だからである。

 灰皿雲智や香川反日や警官殴打七之助の阿呆たちには、逆立ちしても詠めない句である。

 この毎日新聞の記事・文章は、記者の鈴木琢磨が書いている。大阪外大の朝鮮語学科を卒業し、コリアンマンセーの嫌な男だけれども、こうした俳句関係・歌舞伎役者関連のものはマトモな文章を書いている。TBSテレビでコリアンマンセーの言辞を弄している醜悪な普段の鈴木琢磨の姿からは想像もできないものである。



 ……浮寝鳥、か。
 健康な男なら、<浮世鳥>であるかもしれない。
 しかし、死に沈んでゆく男は、もう飛ぶこともできず、水面にかろうじて浮いて、力なく漂っているしかない。死を前にした人間に、もう一般の意味の世界はない。静かに月光が部屋を包み、白い毛布カバーが滲むように鈍く光っている。それが「世界のすべて」である。
 息を、苦しい息をするたびに、水面が揺れるように毛布も光も揺れる。
 空には慈しむように優しい光を注いでくれている月が(良夜とは満月の夜の意味)出ている。
 静かに、その淡い月の光に包まれた、末期癌の男が、ひとり病室で死の小波にタプタプ揺れながら、ものを思っている姿、が、これ以上望めないような透明感をもって表現されている俳句。
 漂い、揺れて、月を見上げ、やがて男は消えていってしまった。