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2015年3月8日日曜日

選挙区和歌山市の自民党国会議員の買春自慢

 アホか、としか思えない。
 中川郁子とベロチュー写真のことではない。この門(かど)博文という49歳の、自民党二階派(媚中拝韓のグループ)の衆議院議員。父親はなんでも現職の和歌山県議会議員・門三佐博ということである。
 で、六本木での路チュー写真を週刊誌記者に見せられて、写真に写っているのは俺ではないという弁明が、以下の文章。

週刊新潮2015年3月12日号より
「中川さんと2人で会食する機会は、2年間で数度あったと思うけど、今週は会ってない。中高の同級生の妻には、これからもよろしくと思っています。もっとも、今まで妻一筋かと言うと、そうとは言えんな。男やからな。風俗はソープランドだけや。十数回行ったかな。全国でも1,2を争う店があって、熊本のブルーシャトウな。3回行ったよ。吉原も行ったけど、議員になってからはない」
 家族が聞いたら卒倒しそうな風俗自慢はもういいから、郁子政務官との関係を聞かせてもらえないか。
「中川さんはお綺麗ですけど、俺の7歳上でしょ。女性の年齢はプラマイ1くらいがいいんちゃうかな。下はマイナス3まで、上はプラス1を死守したいね。年上の人に性的な魅力は、そりゃ感じないやろな」

 他に記事から拾うと・・・
赤坂議員宿舎でタクシーを降りたこの男性が、和歌山1区から出馬して(落選し)比例近畿ブロックで復活当選した、郁子政務官と同期で、かつ同じ二階派の門博文代議士(49)だった以上、事は穏便にはすまない。彼は小学校教諭の妻との間に、大学3年と高校2年、中学3年の娘がいるのだ。
・・・
二階俊博さんはお父さんの門三佐博さんと県議の同期ですが、(門博文は)いかんせん知名度がない。この間の選挙では、ある演説会場でお嬢さんが”父をよろしくお願いします”と涙を流しながら訴え、反響を呼びました。投開票日には家族総出で状況を見守り、当選するとお嬢さんが泣き崩れていたのが印象的でした
(引用終わり)

 政界失楽園 でグーグルすると、栃木宇都宮の船田元の専売だと思っていたけれども、今ではこの門・中川カップルの記事が多い。船田の場合は、しかし、聞かれてもいない「ソープランド(買春)自慢」をしたり、相手の女性をこき下ろしたり(年増は私の守備範囲外とか)はしていないので(まぁ船田元は離婚はしたけれども)、門博文ほど醜悪ではない。
 中川郁子が寂しさの果てに(?)、こんな最低の男を掴む・頼るとは、なんとなく悲しい。
 泥酔国際恥かき亭主が帯広に戻ったとき、記者が大勢いる中で、中川昭一に「日本一!」と声を掛けたのが中川郁子。
 今度は、別の意味で日本一の(つまりは日本一醜悪な、という意味)国会議員・門博文に「婆」呼ばわりされるという憂き目に遭っている。
 So it goes.
中川一郎氏自殺に追いこんだのは誰か 鈴木宗男氏初めて口を開き反論
2010/10/18 19:02 JCAST
 鈴木宗男・元衆議院議員が故中川一郎氏の自殺の原因を「初めて明かす」とした手記を雑誌に発表した。遺族側は鈴木氏が自殺の引き金になったと主張しているほか、KGBスパイ説、KCIA秘密資金説など様々な説がメディアに流れたが、いずれも間違いだとしている。
   この手記は、故中川昭一衆議院議員の未亡人、中川郁子さんが「文藝春秋」2010年10月号に掲載した「義父中川一郎、昭一『親子連続怪死』の全真相」に反論するために書かれた。
「お前に、俺は殺された。俺は死ぬしかない」
「中川氏を自殺に追いやったのは誰なのか?」
   郁子さんは一郎氏の自殺は精神的変調のためとし、中川氏が鈴木氏に対し「お前に、俺は殺された。俺は死ぬしかない」などと怒鳴り殴っていたというエピソードを紹介し、鈴木氏が自殺の原因と取れる書き方をしている。鈴木氏と中川氏の遺族の主張は真っ向から対立したままで、真相は未だにやぶの中だ。
   鈴木氏の手記は「新潮45」の2010年11月号に「中川一郎先生の名誉のために今、初めて明かす『自殺の原因』」というタイトルで掲載されている。鈴木氏は北海道開発局の工事などを巡り受託収賄で有罪となり収監されるが、国会議員バッジを外したのを機に、27年間ずっと秘めてきた中川氏の自殺の真実を公表すると書いている。鈴木氏は大学在学中から13年以上中川氏の秘書を務めた。
   手記によれば、中川氏の自殺の原因は色々と取り沙汰され、中には「鈴木が(中川)先生を殺した」というものもあった。自殺の2年後に出た「文藝春秋」85年1月号には貞子夫人が死の引き金は鈴木氏だとし、「鈴木、よくも、この俺を刺したな!!お前に、俺は殺された。俺は死ぬしかない」と怒鳴り、20~30回殴り続けた、といった内容の手記を発表。
   同誌2010年10月号では、今度は昭一氏の妻の郁子さんが、貞子さんが明かしたのと同じ光景を目撃した、と書いている。こうした内容について、
「貞子夫人が書いているやり取りは事実に反しており、ましてや郁子さんはその場にいなかったと断言する」
などと反論している。
   では、自殺の原因は何なのか。鈴木氏の手記によれば、中川氏が極度の鬱状態に陥ったのは自殺の前年の1982年11月27日。中川氏は24日の総裁選に出馬し敗れている。27日は福田赳夫元首相宅に総選挙後の挨拶に行き泥酔。福田氏に対し「散々俺を利用しやがって」などと思いの丈をぶちまけたという。そして「俺はやられる」といった被害妄想に襲われるようになった、という。

100万円の裏献金を誰かに暴露されることを恐れた
   「俺はやられる」というのは全日空から中川氏に手渡された100万円の裏献金。それを誰かに暴露されることを恐れたというのだ。いつ報道されるのかとNHKのニュースをチェックするのが日課になっていたという。
   鈴木氏が衆院選に出馬する意志を示したことは中川氏の精神的苦痛にはなったが、出馬をやめたことで円満解決しており、貞子夫人や郁子夫人が書いているような中川氏とのトラブルはなかった、という。そして、自殺に追い込んだ何よりも大きな原因を鈴木氏はこう綴っている。
   貞子夫人は中川氏が鈴木氏に頼りっきりの状態に納得がいかず、「鈴木を切って、次男を秘書にしてください」「鈴木と私とどちらが大切なんですか。鈴木を切れないのなら離婚します」と強く迫ったことや、全日空からの闇献金が中川氏の悩みを深め死に追いやった、という。
   両者の言い分は全く正反対なのである。
(引用終わり)


▲:以下は余談である。
 中川一郎が札幌パークホテルで死亡したのが、1983年1月9日。部屋で発見された中川は、南9条にあるC病院に救急車で運ばれた。週末のことである。
 その週末、本当なら、私はC病院で、いつものように、救急医療の実習をしているはずだった。実習といっても救急車で運ばれてくる救急患者の治療を「見学」しているだけで、看護婦の「お手伝い」程度しかできなかったし、させては貰えなかったが、救急医療の講義も実習も当時の大学医学部のカリキュラムにはないので、C病院での実地研修はとても貴重な体験だった。M3の冬、もう少しでM4という頃である。
 C病院の創設者である院長は札幌医大出身の医者だったけれども、友人のツテで、救急医療の泊まりがけの研修を個人的にそこで毎週末にさせてもらっていた、既に10回以上は……いや半年以上もその時点で続けていたのだろうか、記憶は失せている。
 楽しかったので毎週末に欠かさず行っていたのだが、その週末に限って、医学部の何かの学科の試験が迫っていて、試験に落ちる可能性の高かった私は(いつものことである)研修をさぼるしかなく、同期の比較的優秀な友人の下宿に転がり込み、一緒に一夜漬けの勉強をしていた。
 翌朝テレビを見ると、C病院の、時々いろいろなことを私に教えてくれていたZ先生が、救急車で運ばれてきたという中川一郎のことについて何かを画面の中で喋っていた。

 学科の試験を落とすことに怯えて、研修(自発的な研修)をさぼっていて、本当に良かったと思う。
 中川昭一や鈴木宗男とC病院で顔を合わせていたかもしれない、あの夜研修に行っていたならば。
 そして、口の軽い私は、何か秘密を知ってしまったとしたら、うっかりそれを喋ってしまっていたかもしれない。そうなれば……
 知らないことは喋りようがないのだから、安心である。
 研修に行っていたら、逐一、中川一郎の様子を見てしまっていたことだろう。
 そのZ先生も去年他界し、32年前のことを知る人は殆どいなくなってしまっている。
 中川家の関係者や、鈴木宗男の顔をテレビや雑誌で見るたびに、私はいつも、
「幸運にも実習をさぼって友人の下宿で勉強をしていたあの夜」
 のことを、思い出すのである。