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2014年8月11日月曜日

袋とじ・村上春樹

 こんな大昔の国外での大麻吸引が、「袋とじ」写真や、6ページもの記事になってしまうところが、半ズボン作家の凄いところである。
 この週刊誌を出しているのは徳間書店。徳間書店からは、村上春樹の小説は、昔も今もこれからも出ることはないだろうから、気兼ねなく記事にできるのだろう。講談社や新潮社や文芸春秋の週刊誌では決してできないことである。




http://www.j-cast.com/tv/2014/08/08212734.html
元木昌彦
作家の村上春樹氏が『アサヒ芸能』の「袋とじ」になっている。表紙にはだいぶ若い村上氏がややトロンとした表情で写り、その下に「『ノルウエーの森』を生んだ『大麻パーティ』を発掘スクープ!」と書いてある。アサ芸と村上春樹という取り合わせは珍しい。きのう7日(2014年8月)も書いたが、世界的に大麻解禁の流れにある中で、いまさら大麻疑惑でもないだろうとは思うが、どういう経緯か見てみよう。
   ときは奇しくも『1Q84』ならぬ1984年。『BRUTUS』(マガジンハウス)の取材のために訪れたドイツ・ハンブルクでのことだそうである。撮影兼案内係を務めたのがドイツ人の元フォト・ジャーナリストのペーター・シュナイダー氏で、取材は1か月ほどだったという。
   某日、村上氏たちはハンブルクの郊外にある廃駅を利用したクラブを取材することになった。現地のコーディネーターがアレンジしたもので、当初はカメラマンだけが出向くという話だったが、村上氏も同行したいといい出した。しかし、現地へ行ってみると、運悪くリニューアル中で見学させてもらえず帰ろうとしたところ、クラブのオーナーであるドイツ人妻が自分の家に寄っていかないかといってくれたので、4人が寄せてもらったという。
   最初はビールで乾杯し、当初はクラブ経営のことなどが話題に上っていたが、やがてオーナーがこう切り出した。「よかったら一服やらないか?」
   この一服はタバコではなくマリファナのことである。当時、ドイツでも大麻は違法だったが、クラブ経営者など業界人が自宅でマリファナやハッシシ(大麻を固めた合成樹脂)をプライベートに楽しむのは日常茶飯事だったという。
   通訳が村上氏に伝えると、村上氏は事もなげにこう答えた。
「ええ、大麻なら、僕は好きですよ」
   そのときシュナイダー氏が撮影した写真が「袋とじ」の中にある。彼がフイルムを整理していたところ出てきたのだそうだ。それまで、その日本人がノーベル文学賞候補にまでなった村上春樹と同一人物だったとは気がつかなかったという。シュナイダー氏はなぜ今になってこのことを公表しようと思ったのか。
<「別に彼を落としめようとか、批判しようとかという気持ちはない。彼の作品にはマリファナを扱う描写も出てくるし、本人もマリファナ好きを公言してるのはファンなら知っている。その彼が若い時にこのようにマリファナを楽しんだということを彼の『ファン』も知りたいと思ったからだ」>
   たしかに、その経験は彼の作品に存分に生かされている。10年に発表された『1Q84』の中で、主人公、天吾は父の入院先である病院の看護師たちとパーティーをやった後、その中でいちばん若い女性である安達クミにマリファナを勧められる。その感覚をこう表現している。
<秘密のスイッチをオンにするようなかちんという音が耳元で聞こえ、それから、天吾の頭の中で何かがとろりと揺れた。まるで粥を入れたお椀を斜めに傾けたときのような感じだ。脳みそが揺れているんだ、と、天吾は思った。それは、天吾にとって初めての体験だった~脳みそをひとつの物質として感じること。その粘度を体感すること。フクロウの深い声が耳から入って、その粥の中に混じり、隙間なく溶け込んでいった>
   『うずまき猫のみつけかた』の中でも、村上氏はマリファナについてこう書いている。<経験的にいって、マリファナというのは煙草なんかよりも遙かに害が少ない。煙草と違って中毒性もない。だからマリファナをちょっと吸ったぐらいで、まるで犯罪者みたいに袋叩きにあうなんていう日本の社会的風潮は、まったく筋が通らないのではないか>
   これだけマリファナ擁護論を展開しているのに、アサ芸が村上春樹事務所に事実関係を確認すると、事務所から連絡を受けたという都築響一という編集者が出てきて、「取材旅行中、僕は常に村上さんと一緒に行動していたので、こちらの知らない場所で大麻というのは、写真を含めてありえないかと思います」と答えている。常にいたという都築氏の姿はシュナイダー氏の写真の中には発見できなかったとアサ芸は書いている。
   われわれが若い時代はマリファナやハッシシ、LSDなどは簡単に手に入り、新宿の喫茶店「風月堂」はそうした連中の溜まり場であったし、罪悪感などなかった。だから大麻を解禁してもいいとは私は思わないが、大作家になると、こうした過去の微笑ましい外国での経験でも認めるわけにはいかないのだろうか。窮屈なものだ。