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2014年7月9日水曜日

資料 松前町立病院


 部屋の整理をしていたら、去年12月の新聞紙が出てきた。松前町立病院の記事をスクラップしたもの。今はどうなっているのか、知らない。



 参考: 以下はウィキより 2014年7月9日現在の記載
 なお、この村に関係しているかは知らないけれども、ハム速に驚天動地の村に関する報告がある。

 ここから、ウィキよりの引用。
国保診療所における医師退職問題[編集]

2008年以降、村唯一の医療機関である上小阿仁村国保診療所に医師が定着せず、村への批判の声が高まった。しかし2013年の現地取材によると、個々の医師の退職にはそれぞれ異なる事情があったことも示されている(後述の「一連の報道への異論」を参照)。また、国保診療所は「村内」唯一の医療機関ではあるが、上小阿仁村役場から10.7kmのところに北秋田市立米内沢診療所[9][10]がある。上小阿仁村役場から16.8kmのところには北秋田市民病院(病床数320)もある(米内沢診療所の場所にはかつて公立米内沢総合病院があったが、総合病院としての機能は北秋田市民病院に再編統合された)。
経緯[編集]
長年同村に勤務していた医師が定年退職したのに伴い就任したA医師が2007年6月に依願退職したことから上小阿仁村は医師の公募を開始した。
そして2008年(平成20年)3月、僻地医療に20年も従事していたB医師が「この村が、医師として最後の勤務地。人への愛情、興味が尽きない限り、診療を続けたい」と同年2月に着任したものの、村人からの苛烈な嫌がらせにより、わずか4か月で辞意表示・着任から6か月で退職した[11][12]。
その後2009年(平成21年)1月に、離島やタイで医療に従事した経歴を持つC医師が新たに着任したが、同医師も翌2010年(平成22年)3月に辞意を表明、「後任が見つかるように」との理由から2011年(平成23年)3月をもって離職すると発表した。この辞意表明の直後、数多くの村民からの慰留、村当局による改善策の申し入れにより、辞意は撤回された[13]。しかし、同医師は2010年(平成22年)9月に再び退職願を提出し、2011年(平成23年)2月下旬受理された[14]。
さらに村の公募に応じて北海道北見市から2011年(平成23年)6月に赴任したD医師も、2012年5月に村に辞意を伝えた[15]。
上小阿仁村は2012年(平成24年)10月1日、5月に辞意を伝えたD医師が10月12日に退職し、同日付で北海道帯広市の西村勇医師が診療所の新所長に就任すると発表した[16]。
しかし、西村医師も着任から1か月足らずの11月6日までに村に辞意を伝えている。理由は体調不良としている[17]。これにより、4人連続して赴任後1年以内に辞意を示すこととなった。
2012年(平成24年)11月22日、前北秋田市長の岸部陞(すすむ)・旧北秋中央病院名誉院長 (76) が所長に就任、診療を再開した。村は後任が決まるまで当分の間、診療を続けてもらう方針であると発表された。
2013年4月30日付けで岸部医師は退職することが判明した。後任については4月26日現在未定で、後任が決まるまで週1回泌尿器科の診察にあたっている医師が臨時で所長に就任し、岸部医師の担当していた内科・外科については週1回外部から招聘した医師が診察にあたる[18]。
2013年8月19日、かつて診療所の前身に当たる施設で勤務した経験のある柳一雄氏が常勤医師として着任した[19]。
背景[編集]
僻地医療のベテランを含む3人の医師が相次いで短期間に辞職している背景には、激務によるものだけでなくモンスターペイシェントによる嫌がらせなどの問題行動、およびそれに真摯に対応しなかった村役場の姿勢にあるとされている[20][21]。
例えば、下記のような患者の問題行動が報道されたが[22]、これに対して村当局がどのような対応をしたかは報道されていない。
昼食をとる時間がなく診療所内で食事をしようとパンを買ったときに「患者を待たせておいて買い物か」と住人に責められる。
年間休日18日。土日や祝日も村内回り、お盆期間も診療を続けた。しかし盆明けの8月17日を休診にすると「平日なのに休むとは一体何を考えているんだ」と批判した住人がいた。
診療所向かいの自宅に「急患にすぐに対応できるように」と、センサー式照明を設置費用・電力費用を自費で設置したが、「税金の無駄使いをしている」と苦情を言った住人がいた。
自宅に嫌がらせのビラがまかれた。
辞めていった医師の中には、村の広報紙に村人の医師への対応について苦言を呈した者もいたが、何も改善されなかった。
村当局の対応[編集]
診療所の小嶋有逸事務長補佐(2010年(平成22年)3月報道時60歳)は「こんなに身を粉にして働く医師は過去に例が無く無医村になったら村民が困る。自分で自分の首を絞めている」と語った。
当時の村の責任者であった小林村長は「お会いして、いろいろとお話を聞き慰留に努めました結果、結局は辞任の意思は不変の様であります。上小阿仁村ではこれ以上診療を続けられないとのお話の原因について、ここで詳細に論ずることは控えますが…」[20]「一部の不心得者のために人格も腕も一流の医師を失うのは不本意。医師不足は深刻で、無医村になる公算は限りなく大きい」と語った。
C医師の辞意表示のあと、村当局は急きょ改善策を申し入れるがいったん固辞される。また同村の広報誌『広報かみこあに』2010年(平成22年)3月号では、重要事項として「有能で献身的な医者を安定的に確保すること」を挙げた[20]。一度C医師は辞意を撤回し、上小阿仁村の無医村化は回避されたが[13]、最終的に退職願は受理された。
しかし、村民の医師に対する接し方および村当局の対応は改善することもなく、2012年(平成24年)5月にはD医師も辞意を表明している[15]。B医師は村の広報誌にて「村執行部の医師に対する見方、接し方、処遇の仕方の中に医師の頑張る意欲をなくさせるものがあった」「次の医師が見つかっても、その人も同じような挫折をすることになりかねない」とのコメントを残している。
一連の報道への異論[編集]
上記の事実が報道されると、インターネット上では「医者殺しの村」「悪の村」「イジメ医者追い出し村」などと上小阿仁村への激しい非難の声が上がった。
だが週刊プレイボーイの現地取材によれば、役場および住民のネット上での非難に対する困惑の声と共に、関係者の証言から、各医師の辞職の原因は
A医師はCTスキャンの導入を主張して財政再建中の小林宏晨村長(当時)と対立したのが元で辞表を提出した。
B医師は極力薬を処方しないという方針だったため、薬を欲しがる地元住民、特に一部老人と対立したこと、そしてジェネリック医薬品の処方を求めた小林村長に反発したのが辞職の原因。
C医師の辞職は女性ということで一部住民からのいじめに晒されていたことが原因なのは間違いない。
D医師の辞職は中田村長との対立が原因で、「マスコミが言うような村民によるいじめはない」と本人が語っていた。
西村医師は健康問題と共に、奇矯な振る舞いなどから住民とのトラブルを抱えていた。
という[23]。
一方、一連の辞職事件の背景には
同村を含む僻地における独立診療所を設置することの難しさ
医師へのバックアップ態勢の問題
独特の方言、厳しい気候、遊興施設がないなどの過酷な条件
村自体の閉鎖性
などの問題があるのではないか、と同村関係者は指摘している。
NEWSポストセブンによる中田吉穂・上小阿仁村長へのインタビュー(2012年)では、女性医師へのいじめ記事について医師本人が「本意ではないことを書き残されて悔やみきれない」と話していたことを伝えている[24]。
中田吉穂村長は辞職の背景として次のようなものを挙げている。
村の診療所では設備面でたいした治療ができず総合病院のほうに紹介状を書くことが多い。ただの紹介屋さんになってしまう
若い村民は自分で車を運転して最初から総合病院に行ってしまう
結果、ほとんどお年寄りしか診療所に来ず、医師の抱いていた想いと現実の差がストレスになる

現実の状況としては車などの足がある者にとってはそう遠くないところに診療所や総合病院があり、「僻地無医村」から想像されるものとは必ずしも一致しない。村民全員から頼られる「村のお医者さん」のイメージと現実が離れていることにも原因があるのではないかとしている。