ページ

2014年7月18日金曜日

感想 中島みゆき

 先日、エスパ(ショッピングセンター)で買い物をして、腰が痛くなったのでベンチに座って休んでいると、店内スピーカーから中島みゆきの歌が流れてきた。縦の糸はナントカ、横の糸はナントカ、と歌っているのだけれども、その歌いぶりが、誇張高揚陶然感(?)いっぱいで、「私は歌姫よ」とニッタリ笑いながら聴く者に教えを垂れているかのような、そんな印象だった。
 珍しくはない。何しろ、「歌姫」というのは中島みゆきの自己陶酔でよく使われる言葉だ。「夜会」というのも、歌姫陶酔とのセットになった言葉である。

 初期の中島みゆきは随分聴きこんだけれども、年を追うごとに彼女の「自己陶酔」には鼻白むようになり、いつの頃からか全く聴かなくなった。

 大昔、写真週刊誌に、男と一緒にホテルから出てきて、ニッコリ上を向いて笑っている彼女の写真があったと記憶する。今なら考えなれないことだけれども(そんな写真は存在したとしても編集部で握りつぶされるほどの大物になっているのだから)、大昔はそんなエピソードも写真週刊誌に載った。だからどうだ、ということはないけれども……。
 帯広出身の看護婦がいて、中島みゆきの父親の死について教えてくれたことがある。
 札幌医大の知り合いから、産婦人科教室にいたという弟の話を聞いたこともある。
 藤女子大学にいた中島みゆきが北大の文連会館(その後火事で焼失)に顔を出していた頃の話を聞いたこともある。
 どれもブログには書き込めない話ではある。

 精神的に落差の大きい中島。コンサートやラジオの異様に明るい喋りと歌の暗さの落差が、その精神の落差を教えてくれている。そうした不安定な・しかし魅力的な歌を生み出す源となる「落差」が、加齢と共に消えてゆき、残ったこの女性から生み出される今の歌は、どれも、

<説教ソング>
 と私が名付けざるをえない、まるで「教祖様」の「御教え」のような、昂揚感・自己陶酔の歌である。その歌の「無内容」ぶり、「虚飾の言葉の羅列ぶり」に気付かない彼女が、痛々しい。
 で、そんな歌は、全く魅力がなく、そう、NHKのダメなドキュメンタリー番組のテーマソングぐらいにしか使えない。
 昔はいい歌を歌ってたのにな……と思いながら、ショッピングセンターで、老いた女性の萎びた虚栄だけの説教ソングに、しばし耳を傾けていた。

PS 7月21日 今朝、早朝、偶然、中島みゆきの”深夜放送”を耳にした。
 62歳になって、こんな話の内容、話の仕方(昔と同じ)をしている。こうした喋りで、かろうじて精神の均衡を保っているのだろうか。聴いているうちに、寒々とした気分になった。まるで「骸骨が狂ったように踊り、その骨の打ち鳴る音が中島みゆきの声」のように思えた。精神的に病んでいるのではないか、昔から、としか思えないラジオ放送。次回の放送は8月24日深夜、つまり、25日の早朝ということである。