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2014年8月1日金曜日

2014年ダメ翻訳家大賞を白須英子が受賞





Jewish Revoltについてはここ。

https://www.youtube.com/watch?v=c2_zcg7poPQ

Reza Aslanについてはここ

https://www.youtube.com/results?search_query=jesus+zealot


 白須英子って、1958年に日本女子大を卒業している。ちなみに、それは私が生まれた年。つまり、御年、55プラス22くらいで、77歳くらいということ。

 77歳の老人に翻訳させるのが、問題なのかもしれない。
 55歳の私も(個人的問題が大きいとはいえ)既に老化現象が進み、物忘れやボケが始まっている。77歳の老人に繊細な注意を払うことが必要なキリスト教関連の翻訳を任せることは、誤りだったのではないだろうか。
 確かに白須英子はこれまでもレザー・アスランの本を翻訳してきている。しかし、それは若かった頃の話。しつこいけれども、77歳の老人にはこうした本を任せるのは疑問であるし、実際、これから「証明してゆく」ように、呆れる誤訳を数々やっている。(最も「若くて」77歳であり、ひょっとしたら80歳を超えてたりするのかもしれないけれど……)
 文藝春秋社は深く反省すべきだろう。

『イエス・キリストは実在したのか?』レザー・アスラン著 白須英子訳 文藝春秋 2014

Zealot : The Life and Times of Jesus of Nazareth. written by Reza Aslan 2013


Introduction:P26

 That leaves us with the gospels, which present their own set of problems. To begin with, with the possible exception of the gospel of Luke, none of the gospels we have were written by the person after whom they are named.

H18

 すると残っているのは新約聖書の諸福音書だが、こちらにもそれなりの問題がある。第一に、「ルカによる福音書」は別として、それ以外の福音書にその名を冠している人物がそれを書いたわけえはないことを知っておかなくてはならない。
▲:possible exceptionの意味を白須英子は理解していない。


P4

 The money changers play a vital role in the Temple. For a fee, they will exchange your foul foreign coins for the Hebrew shekel, the only currency permitted by the Temple authorities.
H34
 神殿の両替商には大事な役目がある。心づけ用に、手垢のついた外国の硬貨をユダヤのシェケルに替えてくれるのだ。神殿当局は他の通貨は受け取らない。
▲:for a fee は「手数料を取って」という意味。foul は「手垢」とは何の関係もない。たとえ新品ピカピカの通貨だったとしても「汚れた異教徒の通貨」を神殿で使うことはできない。白須英子は内容を理解していないので、こんなところでも堂々と誤訳をしている。

P9

 Of course, on this day, the high priest does die, though not, it would seem, by the hand of God.
H39
 もちろん、この日、大祭司は本当に死ぬ。たとえ神の御手によるのではなくとも、あたかもそうであったかのように
▲:凄いな、こうした勘所を、「確実に・期待を裏切らずに誤訳する」ことができるのが、白須英子の稀に見る能力である。


P10

The unclean centurion in his red cape and polished cuirass who paraded through the Court of Gentiles, his hand hovering over the hilt of his sword, was a not so subtle reminder, if any were needed, of who really ruled this sacred place.
H41
赤マントにピカピカの甲冑をを身に着け、片手はいつも剣の柄をつかめる格好で「異邦人の庭」を気取って歩いている不浄の輩である百人隊長は、いざという時には必要な存在とはいえ、この聖地を実際に支配しているのはだれかを人々に否応なしに思い起こさせた。
▲:何も内容を理解していないから、こんな滑稽な誤訳ができるのだろう。もちろんこのanyは、any reminderの意味である。

P11
The purple vineyards whose vines twisted and crawled across the level plains, the well-tilled fields and viridescent orchards bursting with almond and fig and loive trees,....
H42
平原には紫色のぶどう畑が一面に蔓をからませながら広がり、なだらかな傾斜地にはアーモンドやイチジク、オリーブなどの青々とした果樹園が続き、.....
▲:well-tilled fields 良く(十分に)耕された畑 が、白須の手にかかると、なだらかな傾斜地、となる。well-tilted とでも誤読したのだろうけれども、そもそもそんな言葉は無い。良く(いい塩梅に)傾いた→なだらかな傾斜地、と勝手に誤った解釈に走った、ということ。



P13

It was standard Roman policy to forge alliances with the landed aristocracy in every captured city, making them dependent on the Roman overlords for their power and wealth. By aligning their interests with those of the ruling class, Rome ensured that local leaders remained wholly vested in maintaining the imperial system.
H44
 占領した都市の地主貴族階級と同盟を結ぶのはローマ帝国の政策の常套手段で、彼らが自分たちの権力と富を守るために、保護者であるローマ人に依存せざるを得なくするのが目的である。ローマ人の利益とこうした支配階級の利益を緊密に連携させることによって、ローマは地元指導者たちの既得権益が帝国の制度の中でつつがなく保持されるように計らった。
▲:vested interestという言葉が頭の片隅にあれば、こんな誤訳は生まれないと思うのだけれども。地元の支配者たちが、自分たちの利権を守ることはローマ帝国のシステムを維持することなくしてあり得ないと知らしめること、を述べているのに、「帝国の制度の中でつつがなく保持されるように計らった」と、誤訳している。

 次は内容を理解していないための典型的誤訳。
P13
 The fluidity that exist in Jerusalem between the religious and political powers made it necessary for Rome to maintain close supervision over the Jewish cult....
H44
 エルサレムでは宗教的権力と政治権力とは流動的であったため、ローマはユダヤ教の祭儀...に対する監督はできるだけ入念にする必要があった。
▲:<宗教的権力と政治的権力とは流動的であった>というのなら、fluidity between とはせず、fluidity (both) of となるはずである。betweenを使っているのは、「一方が他方に、他方が一方に(こんな表現が許されれば)」容易に移り変わる(fluid)ということを意味している。宗教的権力と政治権力が別個に並置されているわけではなく、その二つの権力が絶ちがたく結びついていることを原文では述べている、のだが、白須英子はノンベンダラリンと訳している。


P16

 And yet, a thousand years later, this same tribe that had shed so much blood to cleanse the Promised Land of every foreign element so as to rule it in the name of its God now found itself laboring under the boot of an imperial pagan power,....
H47
 だが、それでも、1000年後には、この同じ部族が、「約束の地」を神の名において支配するために、あらゆる外国的要素を一掃しようとして、多くの血を流すことになる。今やこの土地は異教徒の帝国の意のままに動かされ・・・・
▲:もう、メチャクチャ。白須英子は自分でもワケが分かんなくなり、テキトーにでっちあげることで逃げ切ることにしたのだろう。そもそも、彼女には時制は「現在形と過去形」しかないようで(少なくとも時々そうなってしまう)、「大過去」という概念が無い。had shedと、大過去の文章を、過去の文章と「ごった煮」してしまっているのである。唖然とするしかない。こんな日本語訳を読んで頭を悩ませた人が、頭髪を失ってしまわなければいいけれど、と願うばかりである。


P21

 While Herod was clearing Galilee of the bandit gangs, Antigonus, the son fo Aristobulus, who had lost the throne and the high priesthood to his brother Hyrcanus after the Roman invasion, was stirring up trouble in Jerusalem.
H52
 ヘロデがガリラヤから反徒集団を除去している間に、アリストブルスの息子アンティゴノスはローマの侵攻によって王位と大祭司の地位を兄弟のヒルカノスに奪われ、エルサレムで厄介な問題を起こしつつあった。
▲:ここも大過去を無視して、時制を全く考えていないので誤訳している。



P27
 Sometime later, after Jesus has revealed himself to the crowd, a few begin to make guesses abouto his identity."Surely, he is a prophet."
 And then someone finally says it. Everyone is clearly thinking it; how could they not be, what with Jesus standing tall amid the crowd declaring, "Let he who thirsts come to me and drink?" How are they to understand such heretical words? Who else would dare say such a thing openly and within earshot of the scribes and the teachers of the law, many of whom, we are told, would like nothing more than to silence and arrest this irksome preacher?
"This man is the messiah!"
H60
 しばらくして、イエスが群衆の中に姿を現し、話し始めると、彼の素性を詮索し始める人々が出てきた。「あれは間違いなく預言者だ」
 だれかがそう言えば、みんな本当にそう思うようになるものだ。イエスが群衆の中に毅然として立ち、「(喉が)渇いている人はだれでも、わたしのところへ来て飲みなさい」と言えば、群衆はついそうしてもいいと思うであろう。そうした聞き慣れない言葉を人々はどう解釈するべきか? 律法学者や法律の教師の耳にも聞こえるようなところで、おおっぴらにそんな発言をする者が他にいるのだろうか? 聞くところによれば、このうっとうしい説教師を黙らせて逮捕するしかないと思う連中は大勢いたらしい。
「この男はメシアだ!」
▲:凄いものである。危険ドラッグでもやっていて、涎を垂らしながらテキトーに訳したのではないかとすら疑いたくなってくる。
 And then 以下は妄想による翻訳。
「そして、誰かがついにその言葉(メシアだ!)を言い放った。誰もが明らかにそれ(彼はメシアだ!)を考えていたのだ;どうして考えないでいられるだろうか、イエスが毅然として群衆の中に立ち、「渇いている人は誰でも私のところへ来て飲みなさい」と高らかに言い放っているのだから。このような異端ともいえる言葉をどう理解すればいいというのだろうか、(彼がメシアであるという以外に)? メシア以外の誰がそんなことを公然と言い放つだろうか、それも律法学者や律法の教師の耳に入る場所で? 彼ら(律法学者たちと律法の教師たち)の多くは、我々が知るところでは(現代の我々のこと)、この厄介な説教師(イエス)を黙らせ逮捕することを一心に望んでいるというのに。」


P28
To call Jesus the messiah, therefore, is to place him inexorably upon a path-already well trodden by a host of failed messiahs who came before him-toward conflict, rebolution, and war against the prevailing powers. Where that path would ultimately lead, no one at the festival could know for sure. But there was some sense of where the path must begin.
"Does not the scripture say that the messiah is of David's seed?" someone in the crowd asks.
H61
イエスをメシアと呼ぶことはつまり、彼より前に現れた数々のメシアが、優勢な現政権に対して紛争、革命、戦争を挑みながらも果たせなかった道へ、彼を容赦なく押し進ませることになる。その道が究極的にはどこへ通じるのか、祭りに来ている人々のだれにもはっきり見えていなかった。だが、その道が目の前にあることだけは間違いないと思う人々もいたように思われる。
「メシアはダビデの子孫だと聖書は言っていなかったのかね?」と群衆の中のだれかが訊ねる。
But there was some sense of where the path must begin.
  だが、その道が目の前にあることだけは間違いないと思う人々もいたように思われる。
 笑いを取ろうとしているのか危険ドラッグでも吸っていたのか、そのどちらかでしょう。もちろん、「その道」が始まる場所というのはベツレヘム。




P36~

When Jesus first begins preaching in his hometown of Nazareth, he is confronted with the murmuring of neighbors, one of whom bluntly asks, "Is this not Mary's son?"(Mark 6:3) This is an astonishing statement, one that cannot be easily dismissed. Calling a first-born Jewish male in Palestine by his mother's name-that is, Jesus /bar Mary/, instead of Jesus /bar Joseph/- is not just unusual, it is egregious. At the very least it is a deliberate slur with implications so obvious that later redactions of Mark were compelled to insert the phrase "son of the carpenter, and Mary" into the verse.



H76~

 「熱情」とは、「モーーセ五書」と「律法」の尊重、いかなる外国の主人、ひいてはいかなる人間世界の主人にも仕えない覚悟、至高の神への迷うことなき帰依を暗に示していた。自分の信仰する「主」に熱情を傾けるということは、古代の預言者や英雄、神と同類の相手を絶対認めず、「全地の王」以外のいかなる王にも忠誠を誓わず、偶像崇拝や神の掟に違反する者には容赦しない男女らの輝かしい足跡をたどることである。イスラエルの土地そのものが、熱烈な主張の産物だったのは、「主ひとりの他、神々に生費をささげる者は断ち滅ぼされる」(「出エジプト記」22章19節)という神の要求に従って、熱情に駆られた戦士たちがこの土地からすべての外国人と偶像崇拝者を追い払ったからである。
  一世紀のパレスチナのユダヤ人は、みなそれなりに熱情をもって人生を生きようと努力する人が多かった。だが、中には、自分たちの熱情的な理想を保持するために、ローマ人や割礼を受けていない大衆ばかりでなく、ワーーマ人に服従するユダヤ人に対しても、必要であれば、極端な暴力をふるう人々もいた。彼らは「熱血漢(sealots)」と呼ばれていた。
 このような「熱血漢」を、六〇年後の紀元六六年のユダヤ人蜂起後に台頭することになる「熱心党
(Zealot Party)」と混同しないように気をつけなくてはいけない。イエスの存命中の「熱情(zeal)」
とは、確固とした宗派あるいは政党活動を指す言葉ではなく、ローマ帝国による占領下のユダヤ人の間に広まっていた終末期待に関連した敬神の念、抱負のようなものだった。とくに無学者や、信心深い貧しい人々の間に、「今の体制がやがて消滅し、神の王国がもうすぐやってくる」という思いがあった。だれもがそれを口にした。だが、神の統治は、そのために戦う「熱情」をもった人々がいなければ実現されるはずがない。








P50

As governor, Cumanus was little more than a thief and a fool. Among his first acts was the posting of Roman soldiers on the roofs of the Temple's porticoes, ostensibly to guard against chaos and disorder during the feast of Passover. In the midst of the holy celebrations, one of these soldiers thought it would be amusing to pull back his garment and display his bare ass to the congregation below, all the while shouting what Josephus, in his decorum, describes as "such words as you might expect upon such a posture."
 The crowd was incensed.
H86
 総督としてのクマヌスは、間抜けなコソ泥同然の男だった。彼が最初にやったことは、表向きは過越際の間に騒動が起こらないように見張りをさせるという名目で、ローマ兵を神殿の回廊の屋上に配置したことだった。そのローマ兵の一人が、神聖な祭儀の最中にズボンをずり下げて、裸の尻を下方の境内にいる参列者に見せたら面白いだろうと考えた。抑制のきいた文章を心がけたヨセフスによれば、「そうしたしぐさを見た時に想定されるような叫び声」が儀式の間中飛び交ったという。
 群衆は激怒した。
▲:白須の翻訳では、ローマ兵の裸の尻を見て、下にいる群衆が叫び声を儀式の間中飛び交わせた、という意味になる。しかし、もちろん、叫び声をあげていたのはこのローマ兵であり、性行為を思わせる(というかまさにそのものの)声をあげていたというのが本当の意味。
 エルサレムの神殿の屋根で、過越祭の儀式の最中に、裸の尻を出して性行為の真似をする、となれば、ユダヤ人が激怒するのは当然のこと。しかし白須の誤訳では、ローマ兵の裸の尻を見せられてユダヤ人が叫び声をあげ続けた、という気の抜けた場面となってしまう。
 白須英子なりのdecorumのつもりで、あえて性行為を連想させるような正しい訳にはしなかった・敢えて誤訳した、のかどうかは、不明である。しかし、以下は完全な誤訳。

H87

 クマヌスの軍団兵の一人が、「律法」の巻物をつかんで、集まっているユダヤ人の前でそれをちりぢりに破くと、緊張は一挙に高まった。クマヌスはその兵士を大急ぎで処罰したが、ユダヤ人の間に巻き起こった怒りと不満を鎮静化するには不十分だった。
P50~
Tension escalated further after one of Cumanus's legionaries grabbed hold of a Torah scroll and tore it to pieces in front of a Jewish assmbly. Cumanusu had the soldier hastily executed, but it was not enough to quell the growing anger and disaffection among the Jews.
▲:この文章で、executeを「処罰した」と訳すのは完全な誤訳。「処刑した」でなければ、事態の緊張感は伝わってこない。大須英子の「鈍感さ」には驚かされる。鈍感訳をもう一つ。

H87

行政官としてのフェリクスは、前任者[クマヌス]と同じくらい、ろくでなしだった。クマヌスと同様、彼も臣下のユダヤ人を軽蔑しきっていた。
▲:ユダヤ総督の下にユダヤ人臣下などがいたのだろうか、と疑問に思うだろうけど、原文は次の通り。
P51
As governor, Felix fared no better than his predecessor. Like Cumanus, he treated the Jews under his control with utter contempt.
▲:マッカーサーが日本を占領していた時分、しかしだからといって日本人はマッカーサーの「臣下」など呼ばれたならば、ふざけるな、と思ったことだろう。同じように、フェリクスに支配されていたユダヤ人を「臣下」などと呼ぶことはできない。どうして日本語の使い方にここまでガサツになれるのだろうか、と、白須英子のダメ訳を読んでいていつも思う。

P52

To the Sicarii, Jonathan son of Anaus was an imposer: a thief and swindler who has grown rich by exploiting the suffering of the people. He was as responsible for the bondage of the Jews as the heathen emperor in Rome.
H88~
シカリ党の目から見れば、アナヌスの息子ヨナタンは、人民の地と汗をいいように利用して裕福になったコソ泥同様の詐欺師であり、ペテン師だった。ヨナタンは隷属的立場にあるユダヤ人にも、ローマにいる異教徒の皇帝にも責任をとらなければならない立場にあった。
▲:息をするように誤訳をする白須英子。内容を何も理解していないから自分の誤訳にすら気づかないのだろう。


http://en.wikipedia.org/wiki/Liminality In anthropology, liminality (from the Latin word līmen, meaning "a threshold"[1]) is the quality of ambiguity or disorientation that occurs in the middle stage of rituals, when participants no longer hold their pre-ritual status but have not yet begun the transition to the status they will hold when the ritual is complete. During a ritual's liminal stage, participants "stand at the threshold"[citation needed] between their previous way of structuring their identity, time, or community, and a new way, which the ritual establishes.



P102

For while the disciples would ultimately recognize Jesus as the promised messiah and the heir to the kingdom of David, while the Romans would view him as a false claimant to the office of King of the Jews, and while the scribes and the Temple priests would come to consider him a blasphemous threat to their control of the Jewish cult, for the vast majority of Jews in Palestine-those he claimed to have been sent to free from oppression-Jesus was neither messiah nor king, but just another traveling miracle worker and professional exorcist roaming through Galilee performing tricks.
H145
弟子たちは、ついにイエスが約束されたメシアでダビデの王国の継承者であることに気づき、ローマ人は、彼をユダヤ人の王にふさわしい者だとありもしない権利を主張する人間とみなし、律法学者と神殿の祭司たちは、彼らのユダヤ教の祭儀の采配に冒涜的な脅威を与える者だと考えるようになる一方、パレスチナのユダヤ人の大多数にとっては、イエスはメシアでも王でもなく、自分たちを抑圧から解放するためにおくられてきた人で、ガリラヤ全土を旅しながら独特の手段を使って軌跡を行う職業的祈祷師の一人に過ぎないと思っていた。
▲:内容を理解していないから、こんな誤訳を平気でできる。


H164~

 ひとことで言えば、「神の国」とは革命への呼びかけである。いかなる革命であろうと、とりわけ神が選ばれた民のためにとっておいた土地を強奪した帝国の軍隊と戦うのであれば、暴力と流血は避けられないであろう。もし「神の国」が途方もない空想ではないとすれば、多大な帝国駐留軍に占領されている土地に、どうやって武力を使わずにそれを樹立できるだろうか? 預言者も、反徒も、一途な革命家たちも、イエスの時代のメシアたちもみな、そのことを知っていた。彼らがこの世に神の支配を樹立するために、暴力の利用をためらわなかった理由はそこにある。問題は、イエスも同じように感じていたかどうかだ。イエスは、反徒のリーダー、ヒゼキア、ガリラヤのユダ、メナヘム、ギ
オラの息子シモン、コホバの息子シモンらの彼と同じようなメシアたちと同様に、この世に神の支配
をもたらすためには暴力は必要だという考えに同意していたのか? 彼は神が聖書の中で要求していたように、すべての異邦人分子を強制的にこの土地から一掃しなければならないという一途な革命家の主義主張に従ったのだろうか?






P128

Jesus has focused his attention on poorer villages such as Nazareth, Capernaum, Bethsaida, and Nain, where his promise of a new world order has been eagerly received, as well as on the coastal towns that rim the Sea of Galilee, save for Tiberias, of course, where Herod Antipas stews on his throne.
H174
イエスが注意深く選んだのは、ナザレ、カファルナウム、ベトサイダ、ナインなどのどちらかというと貧しい村々や、ヘロデ・アンティパスがやきもきしそうな、王座のあるティベリアスを除くガリラヤ湖畔の町などで、そうしたところでは彼の新しい世界秩序到来の約束は熱心に耳を傾けられた。

 日本語訳は意味が通じない。ティベリアスで布教するとアンティパスがやきもきする、と考えているとしても、内容を理解していない証拠。この時点ではアンティパスはイエスに関心を持ってはいない。自動詞のstewは、以下の意味があるけれども、2と3のどちらの意味にも取れる。

 http://www.thefreedictionary.com/stew
 stew :
1. To undergo cooking by boiling slowly or simmering.
2. Informal: To suffer with oppressive heat or stuffy confinement; swelter.
3. Informal: To be in a state of anxiety or agitation. See Synonyms at brood.


H176

イエスは、巡回説教活動、先のことを考えての弟子たちの招集、十二部族の再構築への使命感、イスラエル北部地域にのみ焦点を当てて、行く先々でしるしや奇跡を行うなど、預言者エリヤのシンボルを意識的に装い、自分がエリヤと比較されることを、敢えて止めさせるようなことはしなかった。

 上の文章を読むと、何も問題が無いかのように思ってしまう。イエスが意識的にエリヤのように装った。……エリヤが、<先のことを考えての弟子たちの招集>をやった……?

 イエスも、先のことを考えての弟子たちの招集をやった、ということか。そんなこと、福音書の中に記述されていただろうか?
 と、疑問に思うのが普通。おかしい。で、原文を見てみると、こうなっている。
P130
Jesus has done little to discourage such comparisons, consciously taking upon himself the symbols of the prophet Elijah-the itinerant minisitry, the peremptory calling of disciples, the mission to reconstitute the tweleve tribes, the strict focus on the northern regions of Israel, and the signs and wonders he performs everywhere he goes.

 the peremptory calling of disciples を、白須英子は、

先のことを考えての弟子たちの招集 と訳しているのである。
 つまり、peremptory を preemptory と誤読しているのである。
 確かに、1KING 19:19 にもあるように、ElijahがElishaを弟子にした時も、完全にperemptoryだったし、イエスがあの漁師たちを弟子にしたときもperemptoryだった。「先のことを考えて弟子たちを招集した」という、さももっともらしい白須英子の誤訳は、しかし、白須が聖書の内容について殆ど無知でありながらこうした本を翻訳しているということを、教えてくれている。


P132

 Some believe that the messianic secret is the evangelist's own invention, that it is either a literary device to slowly reveal Jesus's true identity or a clever ploy to emphasize just how wondrous and compelling Jesus's messianic presence was; despite his many attempts to hide his identity from the crowds, it simply could not be concealed.(snip)
 Yet that assumes a level of literary skill in the gospel of Mark for which no evidence exists (Mark's gospel is written in a coarse, elementary Greek that betrays the author's limited education).
H179
 「メシア隠し」は福音書記者独自の創作で、イエスの隠された真の正体を徐々に明らかにして行くための物語作成上の方策、もしくは、イエスのメシア的な姿が、いかにすばらしく、感動的なものかを強調するための巧みな手口だと考える人もいる。イエスは自分の正体を群衆に知られないように、しばしば気を使っていたにもかかわらず、しまいには隠しきれなくなった。(中略)
 だが、これは、証拠はないが、「マルコによる福音書」の文章作成技術レベルのせいだと推測される(「マルコによる福音書は大雑把な内容で、初歩的なギリシア語で書かれていて、著者の教育レベルがあまり高くないことを暴露している)。
▲:息をするように誤訳を繰り返す高須英子。この翻訳本は、誤訳に溢れていて、「訳者の教育レベルがあまり高くないことを暴露している」。


H199

 神殿が廃墟になり、このユダヤ人の宗教が世間から無視されるようになると、イエスをメシアとして信奉してきたユダヤ人は、自然にある決断をするにいたった。自分の親たちの宗教一派と関連を保ち、ローマ人の敵意の中でそれを共有し続けるか(キリスト教徒に対するローマの敵意が最高潮に達するのはもっとずっと後のことである)、ユダヤ教とは縁を切り、自分たちのメシアを、熱烈なユダヤ人のナショナリストから、この世に王国をもたない平和的な慈善行為を行う説教師に変えるのかのどちらかである。

 息をするように誤訳をする翻訳者の本領発揮の文章。原文は以下の通り。

P150
 With the Temple in ruins and the Jewish religion made pariah, the Jews who followed Jesus as messiah had an easy decision to make: they could either maintain their cultic connections to their parent religion and thus share in Rome's enmity(Rome's enmity toward Christians would peak much later), or they could divorce themselves from Judaism and transform their messiah from a fierce Jewish nationalist into a pacifistic preacher of good works whose kingdom was not of this world.

 pariahを無視されると訳したり、easy decisionを自然に決断すると訳すのは、ただ呆れるのみ。

 good worksを「慈善行為」と訳するのは、キリスト教について無知な証拠。以下参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Good_works


 翻訳本の202ページ(H202)に、こんな文章がある。

ピラトに「彼らの王」をどうするべきかと尋ねられたユダヤ人たちは、「わたしたちには皇帝の他に王はありません!」と答えるのである。(「ヨハネ」19章1-16節)
 この文章の次には、原著では、以下の文章が・一つの段落が「存在している」。

P152

 Thus, a story concocted by Mark strictly for evangelistic purpose to shift the blaem for Jesus's death away from Rome is stretched with the passage of time to  the point of absurdity, becoming in the process the basis for two thousand years of Christian anti-Semitism.

 ここを、白須英子は誤訳してはいない。かといって、正しく訳しているわけでもない。

 そもそも……訳していないのである。訳し忘れて見逃したのだろう。まさか、反ユダヤ主義云々という文章が「気に入らない」ということで、故意に削ったのではないだろう。単純に、うっかりミスをしているのだと思う。いずれにせよ、ダメ翻訳家大賞の資質を如何なく発揮していることに変わりはない。



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