ページ

2014年6月5日木曜日

ヒエロニムス・ボス 土方定一

 上に示した絵は、ウィーン美術学校付属美術館蔵の<最後の審判>


ヒエロニムス・ボス紀行(土方定一著作集5・平凡社)

(P93~)
ともかく、ここでボスが修道院の僧侶階級の愉楽と貪欲の罪を告発していることは明らかである。ウィルヘルム・フレンガーは、「乾草車」(マドリード、プラドー美術館)、また同美術館の「地上の愉楽の園」の画面のなかの僧侶階級の愉楽と貪欲の罪を告発していることをディテイルにわたって書いている。たとえば、「乾草車」の画面、下、いいかえれば、画面の前景に、荒れ狂っている尼僧たちが乾草を奪いあい、掴みあいをしており、またその前のところの尼僧たちは乾草を、丸顔の太った尼僧院長に護られている大きな袋のなかに詰めこんでいる。この尼僧院長は酒杯を手に持ち、満足そうに眼を上に向けている。その左の尼僧は気まぐれな吟誦詩人にしなを作りながら、誘いをかけるように、ひと握りの乾草をすすめている。
 また、「地上の愉楽の園」の一場面を紹介しよう。右のパネル、「地獄」の画面の下、パネルの右下隅に描かれている場面である。右手から、鉄兜をかぶって裸の両脚だけを出した変な怪物が堅甲から鳥のような嘴を出し、それにインキ壷をぶらさげて現われている。そこに裸のひとりの男が肥った牝豚に抱きつかれて、牝豚から逃げようとしており、牝豚の手には鵞ペンが握られ、そのうえ、この牝豚は中世後期の下卑た社会鍋刺に現われてくるように、尼僧院長のつける頭巾をかぶっている。牝豚は眼を細め、鼻先を男の頭にすりよせて、この地獄に堕ちた男を誘惑しようとしており、男はどんなにもがいても逃げられそうもない。この牝豚はこの裸の男からなにを求めているのであろうか。男の膝に一枚の羊皮紙がのっていて、そこにはすでに署名もしてあり、封蝋もついているから、正式な証書となっていることがわかる。ところが、牝豚=尼僧院長は鷲ペンを握って、この男に証書のうえに付け加えさせようとしている。遺言状の追加である。だが、この場面は、これにとどまらない。動産がこの不幸な男から詐取されてしまっている。というのは、尼僧院長の家令が、左手にこの男の以前の遺言状をつかみ、赤い蝋で封印された課税目録を頭に載せて、息せききってやってきている。この課税目録の大きさから考えると、動産のほとんどが遺贈されてしまっていることがわかる。この家令の役目は聖水を撒布することにあるが、撒布器に指を入れる様子もなく、そこには胸がむかつくような貪欲の象徴である蟇(ひきがえる)がいて、撒布器のなかに這い落ちようとしている。中世の民間信仰によると、蟇はまた財宝の保護者であった。両者とも、偽善的な禁欲主義は教団の道徳的な腐敗として仮借するところなく告発されており、ことに後者では修道院の飽くことを知らぬ貪欲を風刺しながら、ボスはもっと大胆な攻撃を、牝豚=尼僧院長の猫かぶりの処女振りに向って加えている。ボスが動物を描くときは、つねに動物の性別を描いているが、この牝豚は性器を暗示するものが、どこにも描かれていない。不自然な禁欲の偽善を、ボスはここで象徴していることは明らかである。
 森島恒雄氏は教皇インノケンティウス三世(在位、1198-1216年)の時代について、次のように書いている。「この聖職者たちは、そのころ、腐敗と堕落の底におちこんでいた。免罪符の売買は常識となり、霊魂の救済は金銭的取引によって行われ、聖餐礼、死者のための祈り、臨終の喜捨、その他、あらゆる儀式典礼はその本質を失って形骸化した。聖職売買は普通のことであり、聖職者は情婦をもち、ざんげ室は女をたらしこむ密室であり、尼僧院は赤線区域となっていた。」
 中世後期の初期にして、すでにひどいことになっていたものである。これらの修道院の腐敗に対して、いい換えれば、ローマ教会に対する批判と改革の精神はアルビ派の革新運動、またピエル・ヴァルドーのヴァルドー派などの異端信仰の民衆運動が拡がっている。異端審問制の二〇年にわたる「凄惨をきわめた思想弾圧」のはじめである。これはボスの時代からブリューゲルの時代につづく異端弾圧となっている。
 次にこの時代の聖職者の腐敗と、「共同生活の兄弟たち」修道会、またヒエロニムス・ボスの没年にはルターの教説はネーデルラソトにひろがっている状況を紹介することにしよう。
 ネーデルラントは、1559年までは、次の司教管区に分れていた。ユトレヒト、ライク(リエージュ)、カーメレイク(カソプレー)、ドールニック(トクルネー)、アトレヒト(アルトワ)、テルワーソの司教管区であり、その他の小部分がそれぞれケルン、ミュンスター、オスナブリュックの司教管区に属していた。現在のオランダの地域の大部分はユトレヒトの司教管区に属していた。信頼すべき統計によると、このユトレヒトの司教管区の教区民は六十万人であり、これは1590年のこの管区のカトリックの教区民の人口と同じである。
 1500年ころ、約五千人の聖職者がこの六十万の教区民を受け持っており、1950年には、
同じ数の教区民をわずか八百人の聖職者が世話しているにすぎない。こんなに厖大な数の聖職者がいることが十六世紀的徴候の多くを説明する特殊性のひとつであった。そのうえ、教区の主任司祭は教区に定住せず、彼が傭った代理人(副司祭vicecuratus)にまかせていた。1517年にホラソトの一三七の教区に八七人の主任司祭の称号をもつ聖職者がおり、五七人の副司祭がいた。これが一般の主任司祭と副司祭とのどの管区でもの割合であったが、副司祭の収入は一般にはきわめて乏しく、なんらかの収人のもとを探さねばならなかった。彼らの仕事の報酬の多くは不在司祭によってとられてしまっていたので、副司祭は牛を飼い、農耕し、また商業に従っていた。多くの聖職者は租税を免れていたので、宿屋を経営していた。これらの副司祭は洗礼、告解を金をとらずには行わなかった。「神のやさしさと坊主の貪欲(Avarice)とは、ともに際限がない」という諺になるほどであった。
 僧侶階級の文化的・道徳的低下についても多くの記録がある。その独身生活についていえば、ネーデルラントでも、ローマ・カトリック教会は十一世紀、十二世紀には義務づけられていたが、I・J・ロヒールの調査によると、一五八〇年ころ、フリースラントにいた三五〇人の聖職者のうち、60パーセントは内縁、また慣習法に従って結婚していた。この慣習法による聖職者の結婚はフリースラントに多かったが、事情はほとんど、どこも同じであった。たとえば、ロッテルダムのエラスムスは聖職者の子であったし、ユトレヒトの有名なカトリックの著述家=司祭であったランベルトゥス・ホルテンシウスも司祭の子であった。再洗礼派の有名な反対者、コルネリス・アドリアーンスゾーソは司祭アドリアーン・コルネリスゾーンの子であり、再洗礼派のオでヘーフィリプス、ディルク・フィリプス兄弟は司祭の子であった。
 聖職、貴族開では事態は一層、腐敗していて、ユトレヒトの司教、ブルゴーニュのフィリップはフィリップ善良侯の庶子であり、ロヒールの調査は、ブルゴーニュのフィリップとユトレヒトの助祭長トーテンブルフのフレデリック・スヘンクを、かかる教会の高位聖職者が地位を利用して不義で乱脈な関係を行っていた例として挙げている。ロヒールは、自治体が正規の結婚と認めている慣習法の結婚をしている司祭の生活と比較して、これを不義の姦通と呼んでいる。このような性的な乱脈さは聖職者階級を異常な状態にまで陥れた。結婚もしていない司祭ヘンドリック・ハイスマンがセルウェルトの修道院の院長になったある日のこと、息子のルードルフ・アグリコーラの誕生の報告を受けたが、そのとき、彼の叫んだ言葉は、「わたしは今日、二度、父となったわい」であった。すでに挙げたランベルトゥス・ホルテンシウスはユトレヒトの聖職者について暗い報告を、次のように書いた。「市会と人民はついに公然と納付金でしめつけられていると不平をいっています。聖職者は金と富とを浪費し、奢侈と娯楽と好色にひたっており、裸の貧しい職人は飢えつつあるのに、聖職者はすべてを持っています。」この記述は状態の客観的な記述というよりも、嫌悪の情を述べたとしても、同時代人が聖職者をどうみたかを適切に記述したものとなっている。
 以上の簡単な紹介によっても、十四、五世紀からブリューゲルの時代にいたるカトリックの聖職者階級の姿を想像していただけるにちがいない。そして、ブリューゲルの版画のなかに登場しているカトリックの聖職者に対する暗喩、諺の真実をみていただけるにちがいない。このような聖職者と教会の腐敗が中世後期のさまざまな、教会から離れて神に直接に聞くキリスト教神秘主義が北ヨーロッパの土地に生れる土壌となっている。この時代の偉大なキリスト教神秘主義者はマイスター・エックハルト(1260?-1327)ヨハン・タウラー(1300?-1361)、ハインリッヒ・スソー(1300?-1366)、ヤン・ファン・ライスブルック(1293-1381)、ヘールト・ホローテ(1340-1384)、トマス・ア・ケンピス(1380-1471)などであり、その教説は異なるが、ともに宗教改革運動を次代のために準備している。
 このうち、ネーデルラソトで良衆ばかりでなく、教会、修道院の修道会、自治体に大きな影響を与えたのは、シャルル・ド・トルネーなどの研究者がヒエロニムス・ボスが属していたとしている神秘教、ヤン・ファン・ライスブルックによって創始され、デフェンテルのヘールト・ホローテによって続けられた「新しい信仰」の「共同生活の兄弟たち」の修道団であった。



(P119~)
 次に、この作品の注文主の問題がまだ残っている。はじめに示した年表に、次のような記述がある。再録すると、「リール市の『北フランス古文書部』の記録には、一五〇四年九月、ス・ヘルトーヘンボスに居住する画家で、ボスとよばれるヒエロニムス・ファン・アー・ケンは、前金として合意に達した額三六リーヴルの支払いを受け、それにともない、高さ9フィート、幅11フィートの大きな絵を描いて、これを納入する義務を負うことを契約する。その絵は「最後の審判」、すなわち、天国と地獄を描いたもので、これは候(フィリップ美候=フェリーペ一世)が、その高貴なる楽しみのためにボスに注文したものである。ボスに受領証と引き替えに総額三六リーヴルが渡される」とある。ウィーン美術学校付属美術館のこの「最後の審判」は、この注文の作品であるとする説と、E・ビュヒナーのように、現在、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある60×114センチの大きさの祭壇画の部分図がこの美候が注文した作品であるとする説がある。ここで、ウィーン美術学校付属美術館の弁明を聞くと、次のようである。その「最後の審判」図を注文したフィリップ美侯はフェルディナント王とカスティリアのイサベラとの間に生れた夫人、ヨハンナを伴って一五〇六年にスペインに赴いているが、その年、九月二十五日に突然、ブルゴスで亡くなっている。ボスは注文された祭壇画を美候の死の前から描きはじめたであろうが、完成するにいたらなかったと推定される。が、「最後の審判」図の外翼にグリザイユで描かれた聖者は明らかに紋章学的な役割をしている。いうまでもなく、ブルゴーニュ候に対してはゲントの聖バボが描かれ、夫人ヨハンナに対してはコンポステラの聖ヤコブが描かれている。そして、美候の死後、未亡人となったヨハンナは抑鬱症にかかり、長い間、精神的不安に陥り、余生をバルドリドのトルデシラス城に監禁されていて、一五五五年に亡くなっている。ルードウィッヒ・プファンドルは、その『フェリーペ二世』のなかで、ヨハンナは祖母から精神分裂症の精神的症状を血のなかに受けついでおり、このカスティリア生れの夫人は未知のフランドルでの生活の孤独のなかに精神分裂症的症状が現われたとしている。そのようなフランドルでの不安と苦痛のなかで、ヨハンナは二人の男子と四人の女子を生んでおり、その長男が、後にカール五世(スペイン王としてはカルロスー世)であり、カール五世は一五〇〇年二月二十四日にゲントで生れている。カール五世の子が、ヨーロッパ史のなかでもっとも謎と秘密に満ちた王といわれるフェリーペ二世であり、これらについては、当然に後で触れねばならない。それはともかく、このような精神状態にあったヨハンナが未完成のボスの作品に関心があろうはずがなかった、とする解明である。以上のウィーン美術学校付属美術館の反証は、この限りでは時間的に肯定せざるを得ないことになる。
 ところで、それではミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある「最後の審判」図の断片は、どうであろうかということになる。この断片は、暗褐色の背景のなかで地獄の燃える火にてらされた凄惨な画面と、ボスの確信的でダイナミックな人物たちの構図と表現は、この種の作品のボスの傑作たることを示している。全図の左手には、最後の審判の喇叭が高く響きわたっているとき、土のなかから蘇ってくる人間たちが描かれ、まだ地中から這いだしているのもある。人間たちは地中の泥を身体中につけて、すべて褐色の人間像であり、王冠、また僧帽をつけていることから、審判の前では王も聖職者も同様であり、絶望のなかにいる。左下の隅に衣服がわずかに見えるのは、聖ミカエルが描かれていたのであろうと推定している研究者もいる。右上には、鳥の嘴をした怪物が槍をもっており、その下に四つ足で青いマントを着た人間=怪物が歩き、左下には大きな剣をぶらさげ、足と腰=顔の怪物が、絶望で手を挙げてもがく裸女をのせて走っている。中央は、これまた鳥の嘴に薄衣をなびかせた怪物が裸女の手足をつかまえている。鼠やかぶと虫の顔をし、人間の足をもった怪物。毒を吹きかけている蛙。それらが、燃える火にてらされた暗闇のなかで走りまわっている。どこにも希望のないこの世の終末の死の場面が、それだからこそ、烈しい照明をうけて鮮やかに、凄惨に表現されている。怪物、人間の、それぞれ、躍動した姿態と、暗闇のなかでそれらの怪物、人間が照明をうけている力学的な場面は、ボスの晩年の作品と推定される。従って、この作品がフィリップ美候の注文による『最後の審判』図の断片とは推定しがたい。



(P178~)

「地上の愉楽の園」の遠景から見てゆくと、幻想的な建物が泉と、そこから流れている四つの河の上に中央の建物を中心としてシソメトリックに建ち、これが中央パネルのコンポジションとなっていることは明らかである。この幻想的な建物は男根の象徴としている研究者もいるが、それはともかく、ここでボスは画面に風景を導入することで、「地上の愉楽の園」としていることは疑いない。泉のなかで、また泉の中央の球体の外側、また下部に開けられた穴のなかでの情況は、中世、またそれにつづく十六世紀のドイツ、ネーデルラントの青春の泉(Jung brunnen)にみられる状況であり、ボスの時代でも、バッタスが示しているように、水槽のなかでの男女の抱擁、ヴィーナスの浴槽で泳ぐ、ということは、十六世紀のネーデルラントでは性愛の表現であったといっているが、ここでボスは青春の泉を描いているのではなく、また、肉欲の罪をここですでに描いているのではなく、同時代の伝統的なイコノグラフィーに従っているといっていいようだ。
 中景は、今度は中央の円形の泉のなかに裸女たちが上半身をあらわにして立ち、この裸女たちの浴みしている泉の周囲を、馬、牛、猪、熊、鹿、らくだ、ひょう、グリフィン(獅子の頭をもち、鷲の頭と翼をもつ怪獣)、一角獣、その他、幻想的な動物に乗っている。これまた裸の男たちが泉をとりまいて駆けている。ところで、中央の泉の裸の女たちを見ると、左の黒人の女は頭に孔雀をのせ、左手にさくらんぼを持っている。バッタスはこれは虚栄と放蕩の象徴であり、わたり鳥を頭にのせている美わしい長い髪の女は、わたり鳥自体が異端の教説の象徴であるが、女性の悪徳のすべてを示している、としている。また、騎乗の男たちは、なかには曲芸のように逆立ちしたりして昂奮状態を示している。また、男たちはさくらんぼを一角獣の角に挿しているグループもあり、鳥を頭にのせているのもあり、また等身大以上の魚をかついでいるのもあり、梟もいる。梟は古典古代におけるように、知識の象徴ではなく、北方の中世後期では蛇と同じように、常に不吉な意味をもつ肉食の夜行性の動物の象徴となっている。また、魚はマリオ・ブッサリによると、槍と同じように、処女凌辱の象徴であり、バッタスは罪、ことに姦淫の罪の象徴としている。ところで、この裸の男の行進のなかで、中央パネルの対角線の中央のところに卵を頭にのせている男がいるが、この錬金術的な卵がマリオ・ブッサリは中央パネルの全体のコンポジションの中心であり、この卵はカトリックに関する限り異端の象徴であり、これは右パネルの「地獄図」の中央、樹=人間の毀れた卵となっているとしている。

 中央パネルの前景にかえると、ここに描かれているすべてが狂的な、変質的なエロスの象徴であるとする研究者は次のように解釈する。右上の森の陰の一紙の男女に、次に人工的な花形をした鐘状ガラスのなかの三人の男女に苺をすすめている男がおり、その下のところには卵形をした花冠をかぶった二人の裸の下半身と手だけを出し、手にはさくらんぼを持ち、踊っている人間がおり、花冠の上に大きな巣がのっていて、まるでインドの異教の神の踊りに似ており、反対に、左隅の水中で梟を抱いている男がいる。この水中の巣を抱いている男の右には円形ガラスのなかで愛を語らっている男女がおり、その下のところに空洞の異様な花があり、そこの穴からひとりの蒼白の男が顔を出し、顔のところから筒状のガラスが出ていて、そのなかに鼠がいる。鼠は虚偽と疫病の象徴である。象徴ときは続けられる。そのまた左に二枚貝の殻をかついでいる男がいる。この貝殻のなかには明らかに男女がいることが足がでていることでわかるが、バッタスは貝殻の象徴によって一層、これは姦通の象徴であり、かついでいる男はその犠牲者であるとしている。トルネーはオレンジ黄の色のゲートのような建物をとりかこんでいるグループは、同様に姦通を象徴しているとしていた。その他、裸の人間たちより大きな比例で描かれている巣はいうまでもなく、きつつき、まがも、孔雀なども魔術的な象徴的な意味をそれぞれ持っており、秘教的な思想によってそれぞれ異なった意味を持つが、伝承、諺、また錬金術的な考えと共通しているといっていい。

 ここで、研究者が一様にこの作品の主要なテーマとしているのは、右下に、この中央パネルでは唯一の着衣の男とその下の裸の女である。フレソガーは、自己の仮説に従って、この着衣の男はアダミストの大師であり、女はこの大師の「第二のエヴァ」としている。バッタスはノアの洪水の前のアダムとエヴァとしているが、ともにこの中央パネルの主要テーマと関係しているごとはいうまでもない。
 以上の象徴記号の解釈にともなって、シャルル・ド・トルネーをはじめとしてマレイニセンにいたるまで、この中央パネルを人間の原罪の描写としている。トルネーは、次のように書いている。
「これらの男女の愛のたわむれよりも純潔なものはないように見える。だが、この時代の夢判断の書物は、われわれに、彼らの愉楽のほんとうの意味を示している。彼らに勧めて、彼らが喜んで食べているさくらんぼ、苺、きいちご、葡萄は性の快楽の堕落の象徴である。ボスはここで抑圧された願望の烈しい姿を描いている」と。この最後の言葉は精神分析的な解釈を思わせて興味深いが、マレイニセンはこの中央パネルの「地上の愉楽の園」は「不貞のさまざまな罪を示しているとする以外の解釈は不可能のようである」としている。
 ボス研究の資料、また諸研究者の説を紹介している精力的な、そしてぼくの尊敬しているマレイニセンであるが、ぼくがブリューゲルの思想の解釈について書いている傾向を示しているように、ぽくには思われる。

 そして、ぼくはこの中央パネル、「地上の愉楽の園」は、多くの悪の象徴記号にとりまかれているが、いつも対立物を対置するヒエロニムス・ボスの不安の弁証法がこの祭壇画において、ひとつの人間讃歌に似た頂点を示している、といっていいと思っている。これは左のパネルについてもいえることであり、中央の泉のなかの円形の台座に開けられている丸い穴から一羽の梟がいることがわかる。梟は、すでにしばしば登場している不吉の象徴であり、またキリスト、アダムとエヴァの下の沼地には魚の下半身をもつ、へんな奴が、リスボンの「聖アソトニウスの誘惑」のなかにも見られるが、偽書かなんかを読んでおり、その他に見られるように、すでに、ここでもボスの不安の弁証法の暗示が充分にみられる。


 次に、右のパネル、地獄の場合を見てみよう。「乾草車」のように、中央パネルの右にはすでに悪魔が人間を地獄に導こうとしている。だが、「地上の愉楽の園」では、「乾草車」のように、中央パネルと右の地獄のパネルとは断絶している。もっとも、地獄のパネルにおいても、遠景、中景、近景は三段階式に分かれている。

 この右の地獄のパネルは、中央パネルの謎にみちた象徴記号が壮麗なボスの想像力の、この世ならぬ世界を示しているとすれば、地獄のパネルも同様に、ボスの昂揚した、透視的で謎にみち、悲劇的な相貌を帯びている地獄の世界の展開を示している。それは、蒼白な死相のなかで、こちらを見ている樹木=人間に象徴されているようだ。そして、中央パネルと右のパネルとは、人間の生と死との対立し同時に存在する二つの世界を、ボスの不安の弁証法をここで描いていると、ぼくは思っている。
 フレンガーは、この右パネルの地獄のなかに性的な罪で責苦に遭っている人間はひとりもいないとして、中央パネルがアダミストの天国であるとする自己の説の根拠を強めている。フレンガーの説は、ともかくとして、この地獄の画面の象徴記号を少しばかりみることにしよう。
画面の上部、遠景の燃えている街の炎は、地獄の幻影を照らしだしているようだ。この燃えている火炎について、ケネス・クラークは一四九〇年以後、ボスのレパートリーに現われているが、中世のミニアチュールの刺戟かとも思われるが、情緒的な効果をもち、また神秘剌の地獄の表現かも知れないといっている。ともかく、この燃えている火炎はここでは爆発的な烈しさをもち、その前の建物を鮮やかなシルエットとしており、その下に群集は逃げまどい、例によって兵隊が行進している。バルダスは、この地獄図は、ウィーン、美術学校付属美術館の「最後の審判」図と同様に、主として「トンダロの幻像」(Vrio Tondali)がボスの氷と火炎との合流点としての地獄の思想に影響を与えたことは明らかだ、としている。また、遠景の橋、また燃えている家、罪人を排泄したり、食べたりしている近景、右の烏の頭をした怪物など、「トンダロの幻像」からきている、としている。

 中央パネルについて述べるとき、画面の対角線の中央にある卵がその象徴的、構図的中心とするマリオ・ブッサリの説を紹介したが、この仮説に従えば、ここでは卵は樹木=人間の破れた胴体となっている。それはともかく、画面、中景の中心がこの樹木=人間であることはいうまでもないが、この蒼白な、中央パネルの生に対立する死の象徴そのもののようなエニグマ(謎)的な顔は、ぽくのなかで焼きつけられて離れない。この樹木=人間の胴体は、毀れた卵の殼のようであり、フレンガーによれば、世界の腐敗した卵の象徴であり、二つの樹幹のような脚は二隻の青い船に乗っている。樹幹は殼を突きさし、殼の上には風笛の描かれた旗を出して内部は酒場なることを示しており、すでに三人の裸の男がひとつの酒壷を前にし、へんな動物のようなものの上に腰かけ、奥ではなにか料理でもつくっているように見える。ウィーン、アルベルティーナ所蔵のこの樹木=人間の下絵スケッチでは、風笛の代りに異端の象徴である弦月が描かれているが、酒樽から酒壷に酒を入れている白い頭飾りを頭にかぶっている女主人を、バッタスは売春婦としている。その下の殼によりかかり、右手で頬杖して前景の地獄を眺めているのはボス自身の自画像であろうと多くの研究者は推定している。地獄の責苦となんの関係もなく、着物を着て眺めているこの人物のなかにボスをみようとする誘惑にかられるのは研究者に限らない。樹木=人間の顔のうえの頭飾りは大きな赤い風笛をのせた円盤であり、風笛の周囲を鳥の頭をもち、左手に誇らしげに棒を持って裸の男の手を右手に握ってつれていたり、異様な怪物によって連れられている行列が描かれている。バックスはこの円盤、また風笛は女と男の性器を暗示しているとしており、酒場への梯子には放蕩の矢をもち尻のところに矢をつけた(男色の象徴といわれる)男が上にあがろうとしている。多くの研究者が、ここでも、この樹木=人間の象徴記号を充分に解釈できないことを歎いているのはこの樹木=人間に限らないが、デルヴォワは、この穴の開けられた樹幹は錬金術的な意味をもっており、バルトルサイティスはこの樹木から人間へのメタモルフォーゼは東洋的な悪魔学からきている、としている。


▲:それにしても、土方定一の文章って、顎が外れそうになるほど呆れる悪文、である。