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2014年5月19日月曜日

2014年 旅行 1 八戸から岩手町、盛岡

宮古 ルートイン宮古
仙台 ホテルシーラックパル仙台
郡山 ルートイン郡山
高崎 ルートイン高崎駅西口
見附 イングリッシュガーデンホテルレアント


 苫小牧から八戸に向かうフェリー。昔はB寝台というのがあって、2段ベッドが蚕棚のように続いていたけれども、今はもうそんなものはなく、カードロック式の個室。狭いけれども、ベッドと机がある個室。壁は薄く隣の人の会話は筒抜けだけれども(老夫婦が、それぞれこの個室を取っていたのだけれども、奥さんが旦那さんの部屋にやってきてあれこれと話し続けていた)、昔のB寝台の不便さとは隔世の感がある、快適な環境である。
 出航前に、この部屋から、ネットで、宮古と仙台のホテルを予約した。



岩手町・石神の丘から見た岩手山。

 午前4時半、八戸港に着く。
 いろいろな思い出が頭の中を駆け巡る。何度、この港に来たことだろう。これが最後の訪問になるかもしれないし、また来ることがあるかもしれない。一人でアクセルを踏み、南へと向かう。高速は使わない。街や村を見ながら本州を降りて行く。

 最初の目的地は岩手町の石神の丘美術館。開館時間の2時間ほど前に着いてしまったので、本を読んだり散歩をしたりして時間を潰す。岩手山や姫神山を展望する庭園があり、その中を歩く。
 ここでは中村太樹男の展覧会が開かれていた。



 パンフレットに載せられている澤口たまみの文章が、良かったので、全文を以下に引用する。


                          こころの住人
  ひとはみな、ひとりで生まれ、ひとりで旅立つ。それは私たちに等しく与えられた運
 命で、たとえどんなに愛するひとがいても、この世のもろもろの命や大地、星や風光を
 愛おしんでいても、いつかはそれらに別れを告げなければならない。
  そういう孤独は、ときに、ことさら自らの死を意識しなくとも、私たちを襲う。愛する者
 に旅立たれたとき、そして自分か愛しいと思う者に愛されなかったとき。そんなさびし
 さに耐えられなくなったら、泣きわめいたって、大声で叫んだっていいのだ。
  けれども孤独に耐え、それでも微笑んでいられるひとの、なんと美しいことだろう。
 できれば自分も、さびしさを胸に抱えていながらも、他者に優しいまなざしを向けら
 れるひとになりたいと、願わずにはいられない。
  中村太樹男氏の一連の作品を見て、そのようなことを考えた。その絵画も立体
 も、ほとんどが人物をモチーフとしていて、多くは異形のひとである。表情は慈愛に
 満ち、それでいて厳しくも見える。私の罪深い部分を舎めて、すべてを見透かしてい
 るようであり、すべてを許しているようでもある。
  このうちの誰かひとりでもいい。このひとが傍にいてくれたなら、私はもう、さぴしいと
 は思わずにすむ。
  そう、感じた。どのひとに傍にいてもらうかは、作品に揺かれたものがたりを続むこと
 で、自ずと決まるだろう。
  そのものがたりは、かつて作者のこころのなかで、確かな形をなして存在していたも
 のに違いない。けれどもその作品は、それを見る者に押しつけてはこない。さりとて、何
 がなんだか分からなくてもいいのだと、突き放すこともない。
  虹や月や雲や、鳥や魚、いつか夢で見たような不思議な建造物が、古色蒼然と
 した画面のなかに封じ込められている。それらは抽象的でありながらも具体的であ
 るために、見る者ひとりひとりのこころに静かに働きかけ、しまいに強く揺さぶる。
  見る者のこころの奥底にしまい込まれていたものがたりは、やがてふわりと解き放た
 れる。そのとき作者の描いたものがたりの欠片は、見る者のものがたりとして再構築さ
 れ、それぞれのこころに収まるのだ。
  そうした絵と見る者の交感、言い換えれば中村大樹男と私たちの対話を経て、
 その絵のなかの厳しくも優しい眼をしたひとびとは、見る者のこころの住人となる。決し
 て忘れ得ぬ愛おしい思い出、あるいは悲しく烈しい痛みを伴うけれども忘れたくはな
 い出来事を、あの異形のひとびとは、驚くほどの鍼実さで守り温めてくれるのである。
 彼らはきっと、死ぬことの向こう側までついてきてくれる。白身が孤独に耐えながら、
それでも微笑んで他者に温かなまなざしを注ぐ。その手で産み出された作品という
 意味を超えて、彼らは中村大樹男の分身なのだ。
                             澤口たまみ
                            [絵本作家・エッセイスト]


どこにも無い世界、しかし、どこかにある世界を中村太樹男は描いている。
もう少し正確に言うと、
どこにも無いと言われている世界、しかし、どこかに必ずある世界を、彼は描いている。

ただし、駄作も多い。残念ながら、最近の作品、ルーン文字のような意味不明な文字を散りばめた羊男(?)の作品には「雰囲気」は無い。アタタカキモノ(2014)とか、コノウタヲウタッテル(2013)はつまらない。あの頃(2000)、風の使者達(2005)とか、誕生(2006)、fan fan fan(2008)、黄金の時(2009)は「雰囲気」を持っている。しかしそういった作品は全て「個人蔵」になっていて、パンフレットの中にも印刷されていない。もっとも、A4の4ページのパンフレットに印刷されている小さな絵は、たった8枚である。
 「雰囲気」とは何か? この場合は、澤口たまみのこの文章が説明してくれる。
 
< ひとはみな、ひとりで生まれ、ひとりで旅立つ。それは私たちに等しく与えられた運命で、たとえどんなに愛するひとがいても、この世のもろもろの命や大地、星や風光を愛おしんでいても、いつかはそれらに別れを告げなければならない。
 そういう孤独は、ときに、ことさら自らの死を意識しなくとも、私たちを襲う。愛する者に旅立たれたとき、そして自分か愛しいと思う者に愛されなかったとき。そんなさびしさに耐えられなくなったら、泣きわめいたって、大声で叫んだっていいのだ。
  けれども孤独に耐え、それでも微笑んでいられるひとの、なんと美しいことだろう。できれば自分も、さびしさを胸に抱えていながらも、他者に優しいまなざしを向けられるひとになりたいと、願わずにはいられない。>

 永遠には生きられない。

 世界には終わりがやがてくる。
 風はやがて止まり、月の光はやがて消える。
 死ぬことですら既に十分に苦しいのに、「独りで死ぬまで生きてゆく」というのは、更に辛い。
 それでも、その苦しみを受け入れて、取り乱すことなく、ゆっくりと息をして、生きてゆく。
 そんな「運命を静かに受容した」雰囲気が、彼の優れた作品の中から溢れてきている。
 でも繰り返すけれども、最近の作品にはそんな雰囲気は無く、本人は進化、私に言わせれば堕落した作品しかない。ちょうど、遠藤彰子の最近の作品がどれもヒドイものであるのと同じ。
 画家は、齢を重ねるに従ってどんどん優れた作品を作るようになる、なんてのは稀であって、ある時期に頂点を極めて、あとは「感受性を失って」どんどん駄作ばかり放り出すようになるのかもしれない。
 ちょうど、松任谷由美が、今では悲惨な曲しか作れなくなったように(あの婆さんにはもはや感受性などなく、老獪な世渡り術しかない)、画家も同じような残念な道を行くのは珍しくないのだろう。


 岩手市に入り、食べログで調べた評判のいい饂飩屋に入ったけれども、期待外れ。食べログで美味しい店を探すのは難しい。

 岩手県立美術館に行く。植田正治という写真家の展覧会に入ったのは、単なる偶然。



 山陰地方の子供や農民を撮った、ごく初期の作品を除けば、その後はクダラナイ写真ばかり。見ているうちに胸が悪くなった。こんなゴミ写真でも、「おフランス」で少し箔を付けてもらえば、その後は日本で通用する、というのは、大江健三郎のゴミ小説を押し戴く日本の文学界でも同じか。
 常設展で見ることのできた萬鐵五郎(以後は万鉄五郎とする)も、松本俊介も、私にはつまらない絵ばかり描いているように思える。カトリック信者・舟越保武の、カトリック臭プンプンたる彫刻を見る。長崎26殉教者記念像は、長崎のあの公園では高い位置にあってよく観察できなかったが、ここでは間近に見ることができた。エルンスト・バルラハの足元にも及ばない、凡庸な彫刻が数多く並べられていた。

 20年振りくらいか、盛岡に来たのは。その時は、同期の医師の結婚式で盛岡に泊まった。そして、前回訪れた寺・報恩寺に再び行く。ここの五百羅漢像をしばらく見物して、宮古へと車を走らせた。
 盛岡から宮古まで、2時間かかった。
 ルートインにチェックインしてから、田老地区を見学しに行った。


 宮古のルートインは、市街地からかなり離れていて、周囲には飲食店どころかコンビニの一軒すらない。夕食をここで頼んでおいて良かった。とても質素な内容だったけれども、一人旅の中高年男性には十分な量。
 復興作業が進んでいて、この宿にもそうした工事関係者は少なくなかった。夕食を取りながら、酒を飲んでいる人も多いのだが、中に一人、Tシャツの袖から伸びた両腕に、二の腕から手首まで、線彫りの刺青を派手にやっている人物がいた。話の内容から工事関係者。割と大きな声で喋っていたけれども、別に何か迷惑を受けた訳ではない。長袖のシャツを着て刺青を見せないようにしてくれたら良かったのに、と思っただけである。
 『原発とヤクザ』という本を、ふと思い出した。









作製途中