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2014年5月23日金曜日

資料 洲之内徹 芸術随想『おいてけぼり』

『おいてけぼり』洲之内徹
 以下は愛媛新聞に載った随筆(1962年から64年の時期)
P51~
〈藤田嗣治『母子像』〉
 私の古い友人で、いま松山に住んでいる岡本鉄四郎はたしか昭和十年(一九三五年)ころ、内でしのようなかっこうで藤田嗣治の家に住み込んでいたことがある。藤田の仕事場にもはいり、仕事をする藤田のそばで暮らしていただけに、私たちのショウバイ用のことばを使って言えば、藤田をよく見るひとりだろう。私が画廊をはじめた当時は、彼はまだ東京にいて椎名町に住んでいたが、そういうわけで藤田の作品が手に入ると、私は必ず彼には見せたものである。
 そうして二人で藤田の話をしているとき、
「うまいことはすごくうまいけどなあ、藤田の絵は味も素っ気もないだろう、おれは好きじゃないよ」
 というようなことを彼が言ったことがある。私も同感だ。同感だが、それは彼がどういう意味で、あるいはどういう気持ちでそう言っているのか、それをわかっての上のことである。
 たとえば岡本は、もともとすぐれた写実の腕をもった絵かきだが、軍隊生活やらそれに続く抑留生活やらで二十年近い空白の時期を余儀なくされたあげく、帰って来て抽象絵画の魅力にとりつかれ、抽象の作品を描きはじめているときであった。当然、彼には造形の根本的な問題でいろいろと悩みや模索があっただろうが、そういう点で旧師の藤田から教えられることはなんにもなかったろうと思う。
 絵画思考において、藤田はまことに素朴平明な作家である。近代絵画のさまざまな思想と試行が次々と相次いで起こり、ひしめきあっていたパリに長年住んでいながら、そういうものに影響されたりわずらわされたりした形跡はほとんどない。彼は終始一貫して現実的な写実主義者であり、その独特のメチエ(技術)を駆使して実在するものをありのままに表現することに熱中し、しかもぜったいに他の追随を許さない描写力をもっていることに誇りと自信を特っていたように見える。
 そこのところが精神主義者の多い目本のインテリ派の画家たちから見ればなんとも物足りなく、「味も素っ気もない」と思われるひとつの理由だろう。しかし物を巧みに描くということは、絵画のひとつの本源的な要求ではないだろうか。藤田の絵の前に立つと、だれでも「うまいもんだなあ。すごい」と感嘆せずにはいられない。理屈ぬきである。藤田の絵は、絵を見ることのよろこびを端的に与えてくれる。そこに、なんと言われようと藤田の大衆的な人気の基礎があるのだと、私は思う。
 藤田の仕事は職人芸だとはよく言われることだが、古来大作家は例外なく偉大な職人でもあったことを思えば、これもあながち悪口をついていることにはならない。むしろ藤田が世界中どこへ出してもりっぱに巨匠で通るのは、彼のこの魔術的な技術のゆえである。事実、日本人の画家で、国際的に評価の通用するのは藤田だけなのだからしかたがない。
 絵かきの型としては、彼は色彩家というよりも素描家である。モデルを使わずに衣服のしわやひだを正確に描けるというのが彼の自慢らしい。右向きの顔を左向きの顔と全く同じ自由さで描く。そして長い複雑な線を一息に引く。モジリアニの線は途中で継いであるが、自分の線には継ぎ目がないのだと言っているそうである。たしかにそのとおりなのだ。
 彼は日本画用の面相筆を使って、乳白色の大理石のようにみがき上げた独特のカンバスの滑らかな膚に、針の先で触れたような鋭い、しかもねばり強い、無類の美しい線をひく。一九二〇年ごろから彼はこのメチエを用いはじめ、たちまち一躍してパリの画壇で人気を集めるようになった。そして、この二〇年代の仕事が彼のものの中では最高でもある。しかし、こういう技術は年齢には勝てない。戦後再びパリに住んで、彼の人気は依然として衰えてはいないようであるが、彼の線にはもはや昔日の面影は見られない。
 この『母子像』は油絵ではなく、黄色みを帯びた鳥の子紙に面相筆で描いてある。鳥の子が古びて、古い象牙のような色合いになっていてなんとも言えない。年代の記載がないが、まさしく二〇年代の、藤田としては最上の時期のものだと思われる。藤田にはおびただしいにせ物があり、目にふれる十枚のうち七、八枚まではにせ物だと言ってもいい。商売がら、私はゲージのような意味でこの作品を持っている。たえずこの作品を見ることで、私の眼をとぎすましておく必要があるからだ。


P102~

〈福沢一郎『基督』〉
 十字架にかけられているのはキリストらしいが、このキリストは頭をぶらりと腹の上に垂れている。その頭髪に、中しわけのように隷の冠がひっかかっている。
 傑になったキリストは、たいていその顔を天に向けているものだ。キリストは人類の罪をあがなうために十字架につけられ、キリストの処刑によって人類は救済のあかしを与えられているというのが十字架の象徴的な意味だったと思う。だからその目は天に向かって上げられているのだろう。ところが首をたれたこの絵のキリストは、自らその象徴的な意味を否定しているとしか思えない。それに、そういう場面のドラマティックな昂揚も宗教的な崇厳(しゅんげん)さも、この絵には見られない。つまりこのキリストは、これがキリストだとすればの話だが、ちっともキリストらしくないキリストである。
 キリストというよりも、雀おどしのために吊るした鳥の死骸のようだ。背景の空は美しい青さに澄みわたり、ちぎれ雲が互いにバランスを保ちながら静かに浮かんでいる。十字架の木にも、キリストの身体にも、朽ち木のように穴があいていて、そこから青い空が透けてみえる。肉体にあけられた穴は陰惨さではなく、非現実感を与える。地平線を極端に下へ下げるのは福沢がよく用いる構図だが、そのために空間の虚無感が強調されてくる。
 この作品によって、福沢一郎は十字架の権威を嘲笑し、拒否しようとしているのかどうか、それは私にはわからない。だいたいこの絵の『基督』という題は私がつけたので、絵にはなんにも題はついていない。だからキリストではないのかもしれないのだが、そんなら何を描いているのだろうと、あらためて絵を見直してみると、やっぱりキリストと見るほかにはない。そして、そんなふうにキリストが扱われているところに、従来の「十字架のキリスト」についての解釈に対する、福沢一郎の拒絶や皮肉があると思うのだがどうだろう。
 いつ頃の作品かもはっきりしない。福沢さんにこの絵を見せて訊いてみれば、すぐはっきりすることだが、これも私の勝手な推量を許してもらえば、昭和十二、三年(一九三七、三八年)頃からあと数年の間のものだろうと思う。作品の傾向から言えばシュールレアリスムの系列にはいるものだが、創設当時の「独立展」に毎年並べられた、福沢さんのいわゆるシュールレアリスムの時期のものとはスタイルがちがう。この福沢独自のスタイルが確立されるのは、昭和十年の「第六回独立展」に出品された『水泳群像』、さらに翌年の『牛』『人』あたりからで、だからこの作品はそれ以前ということはない。しかしそれ以後といっても、そう後のものでもなさそうである。いずれにしてもこの作品は、四号の小品ではあるけれども、作品の傾向から言っても、スタイルからいっても、福沢のもっとも福沢らしい作品だと私は思う。
 ところでシュールレアリスムとは何なのか。
〈気まぐれ美術館〉のこの前の回で、私は、古賀春江のシュールレアリスムは日本のアバンギャルドの試行錯誤のひとつであり、本来の意味でのシュールレアリスムが見られるのは、わが国では福沢一郎からだと思う、と書いたが、いつだったかその福沢さんに、
「シュールレアリスムを簡単に言うと、どういうことですか」と、訊いてみたことがある。すると福沢さんは、
「罪のようなものですよ」と言い、ぽかんとしている私に、もうちょっと親切に説明を加えてくれたのだが、それをここで福沢さんの言葉として書くと、私の思いちがいや勘ちがいのために、とんでもないことになる心配がある。だから福沢さんがそう言ったというのではなく、ただそのとき私は私なりの受けとり方をして、シュールレアリスムの思想の中核は不条理の認識ということなんだなと思った。不条理を認識するためには論理的秩序を拒否しなければならない。従って既存の秩序への懐疑、拒絶、虚無と傍観、といった類の精神的体験が、シュールレアリスムの不可欠の要件となってくる。単に幻想的な芸術だというだけではシュールレアリスムとは言えない。
 もっとも福沢さん自身は、氏のあらゆる時期の仕事を含めて、シュールレアリスムというよりもヒューマニズムを目ざしているのだと考えているようである。つまりいつの時期にも、氏の仕事は人間に対する激しい興味から出発しているというのだが、そういう人間に対する強い関心が、福沢さんをシュールレアリスムに向かわせたのだということは考えられる。そうでなければ氏のヒューマニズムは実現し得なかったのだ。言いかえれば、シュールレアリスムはヒューマニズムであるということを、福沢さんの仕事は証明しているのである。




「唐招提寺開山忌 東山魁夷障壁画

『おいてけぼり』(洲之内徹)
P126以下
<佐治谷の杉 絵は宮忠子(みやただこ)>
 佐治というのは鳥取県の、岡山県との県境に近い山奥の僻村で、和紙の産地だそうである。 この絵は、その和紙にメンソウ筆で、墨で描いてある。大きさは油絵の20号くらい。宮さんはその村へ行って、10日くらいこの絵を描き続けたが、岡山市の自宅でご主人がインスタントラーメンばかり食べているのではないかと気になって、帰ってきてしまった。絵はもっと右の方まであるはずだったが、そんなわけで、その右の方は出来なかったのである。
 宮さんのこの杉は、先頃完成した東山魁夷の、唐招提寺障壁画の杉よりずっといい、と私は思う。こんな絵を奥さんに描かせるためなら、ご亭主たる者、「ボク作る人」になって、もう10日くらいインスタントラーメンを食っていてもよかったのではないか。