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2013年7月14日日曜日

日本語の使い方を間違っている張本勲

張本勲氏「ダルはオレに直接文句言え」 ツイッターでの「口撃」に週刊誌で反論
2013/7/11 19:30 JCAST
  野球評論家の張本勲氏が米大リーグ、テキサス・レンジャースのダルビッシュ有投手に苦言を呈した。発端は自身のテレビ番組での発言。これにダルビッシュ投手がツイッターで「反撃」したのだが、どうもそのやり方が気に入らないようだ。
   「週刊文春」の取材に張本氏は、ダルビッシュ投手が言いたいことがあるのなら「私の目の前で言いなさい」と主張した。
五輪やWBCの「戦友」、ツイッターにたびたび登場
   「場外バトル」は、張本氏がトロント・ブルージェイズでプレーする川崎宗則選手に対する厳しいコメントが開始のゴングとなった。レギュラー出演する「サンデーモーニング」(TBS系)で2013年6月23日、川崎選手を「野球選手として見られてないんじゃないの」「(打率)2割2分くらいだったら野球選手じゃないよ」と手厳しく批評したのだ。
   番組を見たひとりが、この発言をツイッターでダルビッシュ投手に「どう思いますか」と尋ねた。すると「いやかなりチームに必要とされてますよ!」と擁護する。続けて、「あのコーナーは何のためにあるのかな? けなすため? わからん」。これに別のファンが「年寄りが自分たちは凄かったって自慢するためのコーナーだと思います」と返したところ、「メジャーのOBでそういう人たちいないなぁ」とこたえていた。
   ダルビッシュ投手は川崎選手との親交が深い。日本のプロ野球では所属球団が違ったが、2008年の北京五輪や2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本代表チームの戦友だった。最近も、対戦のあった6月にはしばしば一緒に行動していたようだ。ツイッターを見ると6月8日付で、「変な人いた」と川崎選手が球場でバットを構える姿を公開。同じ日に「怪しい人いる」と街中で奇妙なポーズをとる写真を撮っている。翌日にはグラス片手に少々赤ら顔の川崎選手をなぜか「ご飯食べてたら知らない人に声かけられた」と紹介していた。気の置けない仲間といった様子が伝わってくる。
   確かに「2割2分」という打率は、数字だけ見れば物足りないだろう。だが、それでもスタメンで起用され続けたのも事実だ。正遊撃手が復帰していったんマイナー降格したものの、別の内野手がけがをするとわずか2日でメジャーに戻ってきたことからも、チームにとって貴重な戦力なのは明らかだ。
オールスター出場決定を喜んでいた
   孫ほど年齢の離れたダルビッシュ投手にチクリとやられた張本氏に、7月18日号の「週刊文春」が突撃した。ツイッター上で投げかけられた「あのコーナーは何のためにあるのかな? けなすため?」との疑問には「いいことはいい、悪いことは悪いとはっきり言うコーナー」と趣旨を説明。さらに「若者は書きたいものを書いて言いたいことを言いなさい」と物分かりのよさを見せた。ただし、こう条件をつけた。
「男なら日本に帰ってきて私の前で言いなさいよ。暗闇から石を投げるようなことをしてはいけません
   面と向かって食ってかかるなら「あっぱれ」、自分の知らないところで批判するのは「喝」というわけか。しかもふたりは、同じ球団の先輩、後輩にあたる。張本氏は、北海道日本ハムファイターズの前身となる東映フライヤーズに1959年に入団し、75年まで所属している。先輩に直接文句を言わないことこそ「無礼千万」というのだ。
   ただ張本氏は、ダルビッシュ投手を嫌っているわけではない。7月7日の「サンデーモーニング」では、ダルビッシュ投手のオールスター出場決定と伝えられた(その後15日間の故障者リスト入りしたため、欠場が確定的)。すると「よかった。日本人が出ないと(球宴を)見る気がしない」と笑っていた。一方ダルビッシュ投手は、その後ツイッター上で張本氏に関する言及はしていない。
   川崎選手への発言について張本氏は、激励の意味だったと明かし、むしろ「早く日本に帰ってきて」と話していた。日本のプロ野球を盛り上げてほしいとの希望だろう。ただ本人は7月10日の試合で9回に決勝打を放ち、勝利に貢献した。「喝」に奮起しての活躍だったかもしれない。ダルビッシュ投手の「かなりチームに必要とされてますよ!」という主張が正しいことを証明した格好だ。

▲:ダルビッシュは実名で堂々とツィッターをしているのであって、「暗闇から石を投げる」という日本語の使い方は完全な誤り。たとえば、暴力団に内密に依頼して誰かを痛めつけるとか殺す、といった場合は、「暗闇から石を投げる」とか「闇からの一撃」という言葉の使い方は当てはまるけれども。神さまのように(?)怖れられているから、誰も張本勲のおかしな日本語の使い方を注意することもないのだろう。


http://blog.livedoor.jp/santama55/archives/66097742.htmlより引用
張本勲・大物たちとの関係

1940年、在日2世として広島県で生まれる。44年、事故で右手に大火傷を負う。45年8月、原爆で姉を亡くす。

中学時代から喧嘩の強さを買われ、様々なヤクザ組織から「幹部候補生」として目をかけられる。広島県内で最大勢力の共政会を率いた、服部武や山田久といった大物ヤクザたちにも可愛がられたという。

後に、ヤクザになった元不良仲間から「あんたは野球をやっとって、よかった。もしも極道になっとったら、確実に死んどったよ」と言われたという。

58年、日韓親善高校野球大会に出場するため韓国に渡る。この大会で最優秀選手に選ばれた張本は、李承晩大統領に拝謁する。

李大統領と握手を交わした張本は、大統領の手の感触が妙に柔らかいことに気がつく。それは大韓帝国時代に開化派運動の首謀者として、拷問を受けたときの後遺症であった。大統領も張本の右手にある火傷のあとに気がつき、「どんなことがあっても、くじけてはなりません」、と語りかけたという。

張本は右手に負ったハンディを克服するため、人一倍の努力を重ね大打者に成長していく。一方の李承晩大統領は、60年4月19日に起きた学生革命で失脚し、65年に亡命先のハワイで生涯を終えた。

75年、日本ハム・ファイターズ首脳陣との確執を抱えていた張本は、読売ジャイアンツへの移籍を希望する。しかし球界一の人気球団で、政財界に多くの後援者を持つ巨人への移籍は困難を極めた。

張本は高校時代に巨人の水原茂からスカウトを受けたが、当時の巨人の球団社長が「乱暴者はいらない。トラブルはごめんだ」と張本獲りを阻止したという。

張本の巨人入りを後押ししたのは、東亜相互企業社長で、韓国や在日のスポーツ振興に尽力してきた町井久之であった。張本は球界入りした直後に、プロレスラーの力道山の紹介で町井と知り合っていた。張本にとって町井は「ははあっ、とひれ伏すような存在」だったという。

町井は、東日貿易の久保正雄を通じて監督の長嶋茂雄に張本獲りを打診。また巨人応援グループの副会長であった、野村證券の瀬川美能留を通じて三菱グループを始めとする財界のとりまとめに動いた。11月、張本の巨人入りが正式に決定する。

張本勲 もう一つの人生―被爆者として、人として

引用と参考、『誇り・人間、張本勲』『猛牛と呼ばれた男・東声会、町井久之の戦後史』『韓国現代史・大統領たちの栄光と蹉跌』

▲:もちろん、これだけではない。ちなみに、竹島を武力で日本から奪い占領したのは李承晩。この男は日本侵略も考えていた愚劣な男。町井久之はコリアン暴力団で、朝鮮戦争の時期、韓国からのコリアン密航者を多数日本に運んだ釜関フェリーを運営。
 ということで、李承晩といい町井久之といい、今日の日本国内のコリアン問題の原点に位置する人物。その人脈の中にある粗暴な張本勲が、暴力的なバックを背景に(?)、毎週日曜の朝から、コリアンTBSで日本人を恫喝しているようなものである、と思う。