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2013年7月20日土曜日

美砂子 その5 道南の海岸

道南の海岸

 二人で函館方面に旅行したときのことだった。
 函館の観光を終えて、松前に向かった。桜の時期は疾うに過ぎていたけれども、城や墓や寺を見物して昼食を取り、そのまま江差に向かった。
 記憶は定かではない。
 上ノ国町を過ぎてすぐの場所だったのか、江差に着く少し前だったのか、それとも江差を過ぎてからのところだったのか、ともかく、左手に続く日本海の海岸線のある場所で私は車を停めた。美砂子が停めて欲しいと言ったのである。

 美砂子はいつもの「美砂子座り」もやめて、一般人の・普通人の助手席での座り方をして、ずっと海を眺めていた。私は、いつもなら膝の上にあるべきはずの美砂子の足がそこには無いので、何か物足りない感じをしたままハンドルを握り、アクセルを踏んでいた。
 美砂子は窓枠に肘をつき、ずっと海を眺めているので、ちらりと横を向いても私は彼女の表情を捕えることはできなかった。その美砂子が突然声をあげた。
「わぁー、綺麗な砂浜!」
 カーブを曲がって視界に開けたのは、内側に窪むなだらかな弧を描いて彼方まで続いているような砂浜だった。
 周囲に建物は全く無かった。
 空と海が広がり、砂浜とアスファルト道路がどこまでも続いていた。
 車の通りもほとんどなく、忘れたころに、漁協か建設業者の古いトラックが一台、また一台と、ノロノロと通り過ぎるだけの場所だった。
 砂浜沿いの道を、景色を楽しむためにスピードを少し緩めて走っていると、急に美砂子が私の方を向いた。
「ねぇ、ちょっと歩かない? 車を停めて砂浜を歩かない?」


 もちろん北海道は砂浜だらけである。
 それも、ここと同じように人気のない砂浜は多い、というか殆どである。しかし、この、上ノ国・江差付近の砂浜は、オホーツク沿岸や太平洋岸、あるいは石狩以北の日本海岸のどことも異なっていた。北海道南部にあるので気候が穏やかである、ブナや杉の森が続くような土地は北海道ではここだけである。しかし、何といっても、全く観光地化されていない、夏でも海水浴客の一人すらいない、別天地のような砂浜が続いているのである。

 そんな砂浜を、私は美砂子と裸足になって歩いた。
 潮風と潮騒と太陽の光を感じながら、美砂子の手を軽く握って、時には腰に手を回して、波で水を含み少しは固くなった砂浜の部分を歩く。そこだけは水に濡れていて、冷たく気持ち良かったのである。振りかえると二人の足跡が絡みつくように、黒く濡れた波が洗う部分に続いていた――やがて、波に打ち消されるのだけれども。

 10分、それとも20分も砂浜を歩いたのだろうか。来た道を引き返して、最初に靴を脱いだ地点に戻ってきた。私の靴と美砂子のサンダルが並ぶようにして、渚からかなり離れた熱い砂地の上に置かれていた。
「私はもっと歩きたい、今度は反対側のあっちを一人で歩いてくる」
 美砂子はそう言って、一人で歩きだした。
 私は靴の地点まで歩き、熱い砂に腰を降ろし、足から砂を打ち払って靴下を両手で引き上げ、それから靴を履いた。
 車の停めてある場所までやってきて振りかえると、美砂子はもうずっと南の方向に進んでいた。白いワンピース姿の小さな影が、ゆっくりと南へと進んでゆく。
 私はトランクから、いつもの籐椅子を取り出して、車の横に置き、座った。
 脚を組んでゆっくりと息をする。
 目の前には海と、弧状に左右に広がる美しい砂浜と、白いはぐれ雲が幾つも浮かんでいる蒼穹だけがあった――そして、白い豆粒のように小さくなった美砂子と。

 籐椅子に座り、背を車体に預け、空と海と砂浜と美砂子を視界の中に受け止めていると、ふと、どこかで「カチリ」と音がするような気がした。
 心の視界のピントが、「カチリ」と音がして、合った、そう知らされた。
 全てが、目の前の全てが「正しい」ように思えた。これが「答」であり、これが求めてきたものであり、これが……人生で与えられる最高のものであることを、頬に潮風を受けながら私は理解した。
 そう気づくと、呼吸がとても楽になった。
 こうして生きてゆき、年老いて、そして死ぬことが何の恐怖でもない――どころか、そうやって時間が流れてゆき人生が終わることこそが求め得る最高の幸せであると素直に思うことができた。
 遠くまで歩いていって、豆粒ほどに小さくなっていた美砂子が、ゆっくりと戻ってくるのが見えた。次第に大きくなる。もし、今、こちらに近づいてきつつある美砂子の顔が、50女の顔になっていても、あるいは70女の老婆の顔になっていたとしても、私は構わなかった。そうなっていたとしたら、こちらも、私も、同じだけ年を取ってしまったということであり、30年か40年か50年かは知らないけれども、確実に美砂子と一緒に生きたということになる。思い出せないのは自分がボケたからであり、本当にあれから50年経っていたのかもしれない。私は本当はもう80の爺さんで、美砂子は70過ぎの婆さんで、今日は二人してここにドライブに来ているだけなのかもしれない。……そうなら、それで、いい。


 籐椅子に腰掛けて足を組み、組んだ足の膝の上で両手を組み、背中を車体に預ける。北海道の夏の終わりは既に冷気を含んでいる。太陽が輝いていてもその熱は弱く、車体が焦げ付くような熱さになることはない。優しい暖かさを背中に感じながら、私は美砂子が近づいてくるのを眺めていた。
 少しずつ少しずつ、美砂子の姿が大きくなり、彼女の顔が見分けられるようになる。
 幸いなことに、美砂子の顔は、70過ぎの老婆のそれではない。
 ということは、まだ私はボケているわけではなく、まだ私は30ちょっとの「若者」なのだろう。
 これから何十年か、美砂子との人生が、ちょうど目の前の海のように遠くまで広がり、天上の空のように無限に広がっているようなものなのだろう。
 そう思うと、私は笑わずにはいられなかった。
 その笑いはいつまでも私の顔から消えなかった。美砂子が目の前にまでやってきたときにも、私は嬉しくて笑っていたのである。目の間にまでやってきた美砂子は、私が阿呆のように笑っているのを見て、驚いたのだろう。
「Oh, what makes you laugh so hard? Have you gone crazy?」


 私は顔を横に振るだけで何も答えなかった。立ち上がり、籐椅子をトランクに放り込むと、運転席についた。
 助手席に座った美砂子は、席につくなり横座りになり、つまり「美砂子座り」になり、足を私の膝の上に載せた。
 私は車を発進させた。美砂子の裸足を触ると、まだ幾つもの砂粒が指先に感じられた。
「ねぇ、ちゃんと説明しなさいよ、何がおかしくて笑っていたの?」
 私は肩を揺すって笑いを抑えた。
「あぁ、あれはね……」と、美砂子の土踏まずを親指でなぞる。「君が砂浜から戻ってきたら、実は70歳くらいのおばあちゃんになっているんじゃないか、って思っていたら、君がちゃんと若いままで戻ってきたから、それがおかしくて笑っていたのさ」
 美砂子はしばらく私のその言葉の意味を探っていたようだけれども、やがて他愛無い戯言だと理解すると、足先で私の膝を蹴るような動きをして小さく呟いた。
「You idiot....」


 その日は八雲を抜けて礼文華峠経由で洞爺へと向かった。夜は洞爺湖々畔の温泉ホテルに泊まることになっていた。当時の道の状態は悪く、もちろん高速道路も無かったので、私は寄り道に時間を随分長く費やしてしまったことに後悔しながらアクセルを踏んで先を急いだ。
 しばらく運転に集中していると、美砂子がいつもの言葉を発した。
「Tell me something...」
 私は膝の上の美砂子の足を、指先で軽く叩きながら思いついたことを口にした。
「君の名前は具象名詞で、僕の名前は抽象名詞だと思ってね」
「どういうこと?」
「さっき浜辺を歩いている美砂を見ながら思ったのさ、美砂――美砂子、美しい砂の子供。名前そのものの光景だった。」
 美砂子は不満そうに言う。
「私が自分の名前をあまり好きでないことは話したわよね」
 私は直ぐに応えた。
「命なき砂のかなしさよ」
「そう、でも私には、少なくとも今のところは命はあるわ。どんなに美しくても砂には命は無いわ」
 その前の年の函館旅行を私は頭の中であれこれ思い出していた。
 大森浜、石川啄木……
 しばらく黙って何かの思いに耽っていた美砂子は、やがてこう呟いた。
「陽子、という名前は具象名詞なのかしら……空には太陽がある。まるでいつも陽子が私を、私たちを見つめているような気がする……」

 私は何も応えなかった。
 美砂子と付き合い初めて2年ほど経っていた、その時点で。
 最初、付き合い始めたころ、決して彼女は「陽子」という名前を出さなかった。意識的に陽子という名前を避けているのを私は感じ取ることができたし、私もその女性の名前――私と美砂子の共通の知り合い、美砂子にとっては友人であり私にとっては患者であるその女性の名前を出さないようにしていた。
 しかし、その日のように、いつの間にか、美砂子は陽子の名前を口にするようになっていた。それはその日、私がふと気付いた「美砂子の中の小さな変化」だった。
 私は知らなかった。それ以外にも――と言うか、それが氷山の一角であり、私には「小さな」変化に思えたとしても、実は美砂子の中では比較にならないほどの「大きな」変化が進んでいたのである。

Blessed are those who never ever know their own future……

 前の年、つまり付き合い始めて1年目の頃は、美砂子はいつも笑っていた。そして2年目のこの日、美砂子はほとんど笑うことはなかった――儀礼的な微笑を浮かべることはあっても、天真爛漫な大笑いをするようなこと、あの水無海中温泉のコンクリートの縁(へり)に全裸で立ち上がってやっていたような大笑いをすることは、全く無かった。
 何か気の滅入るようなことが美砂子に起こったのだろうか……?
 問いかけてみようかと思い、横を向いて美砂子の方を見た。
 美砂子は、美砂子座りをしたまま、胸の前で腕を組み、うなだれて、眠ってしまっていた。

Blessed are those who never ever know their own future……

 翌年、付き合い始めて3年目の夏には、オレンジ色のワンピースを着た美砂子が、厚真町の別荘地の中で泣き喚く姿を目にするなどと、その時の私には夢にも思わなかった。
 そして、その年の暮には、美砂子はアイリーンの住むボストンへと旅立つことになる。

 ボストンの海辺の妙なレストランで、前に座った金髪碧眼のアイリーンが、私に向かって、全くネイティヴの発音の日本語で言った言葉が耳に蘇ってくる。
 「……美砂子はね、あなたと一緒にいると、だんだん無性にかなしくなってくる、そう言っていたわ」




***



 美砂子と付き合いだして1年目――といよりは、正確にはほぼ10ヵ月後の夏に、函館を二人で初めて旅行した時は、本当に楽しかったのである。(@@私と美砂子が「再会」したのは、前の年の大学の銀杏並木の下でのこと)

 その時は、何かの大きなイヴェントが市内で催されていたようで、市内の普通のホテルはどこも満杯だった。もちろん、今のようにインターネットが利用できるようになっていれば、ネットで空いているホテルを探すことも簡単にできただろうけれども、そんなものが全く無い時代である。電話で10件ほどのホテルに予約を入れようとして(前日のことである)、どこからも無愛想に・迷惑そうに断られたので、私はもうそれ以上探すのがイヤになって、市内のモーテルを利用することにした。
 モーテルに泊まると、途中で食事に出かけたり、街に観光に出かけたりといった「途中抜け」ができないので不便だったのだが、もうそんなことは言ってられなかった。
 函館のモーテルは東山町に集中していた。
 偶然選んだホテルは、お伽話に出てくる城のような外観の建物で、もちろん建物時代は田舎の公民館並みに小さなものだったけれども、凝った作りの庭園もある(夜間にはロマンティックな証明もしていた)ラブホにしておくのは惜しいような宿泊施設だった。
 何よりも、窓を開けると、そこから函館の夜景が見えた、しかも臥牛山(函館山)のシルエット付きで。
 モーテルの窓は完全に光を通さない板で覆われていて、普段は誰も窓を開けたりはしないのだろうけれども、そのホテルは例外であり、簡単にスライドさせることができた。窓そのものは小さかったけれども、私と美砂子は立ったまま並んで窓辺に寄りかかり、持ち込んだワインをモーテルの備え付けのグラスに注いで、グラスを片手にずっと函館の夜景を見ていた。
 函館山から見える夜景とは全く逆方向の、しかも牛が臥している形そのままの函館山、その頂上の展望台の光、麓の街の光が闇の底に揺らめく色とりどりの花畑のように映り、心地よい酔いとそれ以上に心地良かったセックスの疲れから、美砂子も私も言葉を発することもなく、裸の肩を寄せ合わせて見とれていた。

 クイーンサイズほどのダブルベッドで眠りに就こうとしたとき、美砂子のいつもの言葉が、電灯を全て消してほぼ真っ暗闇になった部屋に響いた。
「何か話して」
 札幌からの運転と、函館に着いてからの観光地の2、3ヵ所巡り、それにモーテル探しとセックスとアルコールで眠たかった私だったけれども、美砂子の希望には逆らえない。
 いつものように、頭に思いついたことを何も考えずにペラペラと、しかし眠さに打ち負かされそうな口調で喋った。

クレオパトラのワインの話を知っている?」
「……クレオパトラ?」
人間は死に、その身体は砂になり、風に吹かれ消えてしまう