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2013年7月20日土曜日

美砂子 阿寒湖 美砂子桟橋 その2



movement 2

 美砂子が経済学部の学生だったことを遠藤に教えたのは私だった。
 シカゴ郊外の住宅街。居間の窓から見える広い芝生。奥まった位置にある一戸建ての建物は、どれも十分な間隔を保って建てられている。住宅街の中を走っている通りは、どこも緩く蛇行している。
 そんな景色を目にしながら、私は簡単に――ごく簡単に美砂子のことを遠藤に教えた。自分の大学の学部の後輩であることに、遠藤はちょっと驚いたようだった。
 四半世紀も前のこと、遠藤が借りていた住宅。遠藤の奥さんが淹れてくれたコーヒーの香りが鼻腔に広がってくるような幻覚に襲われる。
 四半世紀も前の記憶だった。

 美砂子は遠藤よりも数年ほど後輩であり、遠藤が実際に美砂子を見たことは一度もない。美砂子が大学に入学してきたときには、遠藤は既に東京にある商社に勤務していた。
 写真すら遠藤は見ていない。なぜなら、私は美砂子の写真を一枚も持っていないからだった。付き合った3年間、一度も2人で写真に収まったこともなければ、互いの写真を撮りあったこともなかった。2人とも写真といったものに興味は無かったし、それを言い出せば、手紙の類も殆ど無かった。
 美砂子からの手紙は、たった2通だけ、かつて存在していた。2通ともボストンに留学した美砂子から私の元へ送られてきたものだった。しかし、その手紙も燃やしてしまった今となっては、美砂子が私と3年間付き合ったという証拠は、私の頭の中の記憶しか存在しないのだった。
 その記憶も、私が死ねば脳細胞の壊死と火葬によって消え去る予定だった。
 遠藤の要請――命令に従って、その脳細胞の中の記憶を拾い集めて、こうして言葉に仮託した・影絵のようにあやふやな無数のイメージに、今、私は置き換えようとしているのである。


 しかし、置き換えることはそもそも不可能であることを私は知っている。
 遠藤が言っていた「桟橋」の記憶にしたところで、到底他人に伝えることはできないだろう。
 バリ島のあの神聖な影絵の幻世界のことを考えながら、せめて、万分の一でも遠藤に伝えられるようにと、脳細胞の中を彷徨し、四半世紀前のあの日の残骸である遺物を拾い続ける。


 阿寒湖を含む道東地方には、毎年1度か2度は、私は美砂子と一緒にドライブをした。だから、3年間で阿寒湖には4、5回出かけている。
 定宿というほどのものではないけれども、3回か4回、美砂子と一緒に同じホテルに泊まった記憶がある。安くて、駐車場が広かったのである。車のトランクに、いろいろな物を積んでいる私は、いつでも車に戻ってトランクを開けたり、あるいは深夜や早朝にドライブをするために車を出す事がある。深夜には草原に出て星を見たり、朝には人気のない湖畔を散歩したりするために。
 そのためには、駐車場が狭くてチェックアウトするまで車を出せないようなホテルや(狭い湖畔に密集する多くのホテルでは殆どそうなっている)、建物から遠く離れた場所まで車を運んでゆく旅館には泊まることができなかった。
 結局、駐車場の広い『阿寒ビューホテル』という、比較的安いホテルに何度か泊まった。
 ……今ではこのホテルはもう潰れてしまっていて、もう二度と泊まることはできない。

 早朝、朝風呂や朝食のずっと前に、駐車場から車を出す。夏の日のこの地域は、日本列島の北の端近くにあり・かつ東の端近くにも位置しているためなのだろうけれども、午前4時になれば既に十分に明るい。午前5時なら太陽はかなり昇ってさえいるので、陽光が湖の漣で銀を播いたように輝いていることすらある……しかし、そんな時間には、湖畔には誰一人として出てはいない。まして、私と美砂子が好んでゆく、「ボッケ」の近くの桟橋には人は全くいない。

 ボッケとは、泥の火口のようなものである。大きな泥の池があり、水蒸気や硫酸ガスが泥の泡を常時たぎらせている。アイヌ語で「煮え立つ」という意味のボッケは、もちろんとても危険なところであり、周囲には柵が施され、近づくことはできない。かなり急な勾配の「蟻地獄のような形」になっていて、もし戯れに柵を越えて中に入り足を滑らせれば、熱泥の中で焼け死ぬことだろう。
 この周辺の土地は地熱が極めて高く、亜寒帯の地域でありながら亜熱帯で見かけるようなシダが生い茂っている場所や、温帯地域でしか見られないコオロギなどが棲んでいる。もっとも、地表付近しか暖かくはないので、育っている樹木はエゾマツやトドマツなどといったこの地域では普通のものしかない。
 もっとも、私と美砂子は、ボッケにもコオロギにも興味は無い。
 私たちが早朝にそこに行くのは、二人のお気に入りの桟橋があり、それが湖畔へと真っ直ぐに伸びているからである。木製のごく単純な造りのその桟橋は、20メートルほど湖面に突き出ているので、先端に立つと、まるで深い緑のベールを纏った湖面の上に浮いているような錯覚に浸ることができる。
 ……とは言っても、私と美砂子はそこに「立っている」ことは殆ど無く、「座っている」。
 桟橋の先端にベンチがあるわけではない。
 私が、持参してきた籐椅子の上に座り、その私の膝の上に美砂子が座り、美砂子が右腕を私の首に手を回して軽く抱きしめ、左手で髪を直したりしている。私は両腕を美砂子の腰に回し、朝の樹木と湖の香りを、そして朝の美砂子の身体の匂いを鼻腔を一杯にして嗅ぎ取っていた。

 誰も来ない。
 雲一つ無い青空のときには、澄んだ冷たい大気の中に、雄阿寒岳が屹立している。美砂子は雄阿寒岳の方に向き、私は彼女の肩越しに正面の湖に目をやっている。そして、他愛のないことをゆっくりとした息の中で私が話す。
 美砂子はその私の話を聞きながら、ときどき、話の途切れたときに、顔を少し俯かせて、短いキスを私の頬や唇にしてくれる。それはどれも、湖を渡ってくる微風のように、短くて気持ちのいいキスだった。

 籐椅子はとても軽かった。片手で十分に運ぶことができる背凭れの無い軽量のスツールで、高さ50センチ、直径35センチほどのもの。美砂子と付き合うようになる前から私はその籐椅子をいつも車のトランクの中に積んでいて、主に浜辺で海を見るために使っていたのだった。

 桟橋に一番近づくことのできる車道で車を駐めたとしても、そこから10分近く森の中を歩かなければならなかったけれども、籐椅子は軽いので、片手で籐椅子を持ち、もう一つの手で美砂子の手を握り、朝の光の殆ど差し込まない暗い森の中を歩く。小鳥の囀り、森の香りの中に嗅ぎ取ることのできる微かな硫黄の臭い、大きなシダの広がる特定の場所、コオロギ保護のために設けられている金網で囲われた場所……それらを通り過ぎてしばらく進むと、突然、阿寒湖が目の前に広がり、湖面の上を一直線に切って伸びている桟橋が見える。

 籐椅子を桟橋の先端に置き、そこに私が座ると、美砂子は当然のように私の膝の上に座って、右腕で私の首を抱く。
「これも一種の『美砂子座り』なんだな」と私が呟く。
「そうね。でも、重くない?」と美砂子が笑う。
 美砂子の身長は163センチあり、痩せても太ってもいなかった。彼女を膝の上に載せていても、10分くらいなら、彼女の身体の重さに私の膝は耐えることはできたし、10分もしないで私が立ち上がり、替わって美砂子が籐椅子に座るのがいつものことだった――どこに行っても朝の散歩では、砂浜で、山の中で、湖の畔で、私は片手に籐椅子を持参して歩いた。
 座って身体と心を落ち着かせると、風が頬に気持ち良いことに気づく。
 桟橋を支える木をそのまま使っている柱を、タプタプと湖水が打つ音が、静けさを一層強めた。
 話すのをやめると、美砂子は恩寵を人間に与える天使のように、上から顔をさげ、私に短いキスをくれた。
 私はいつかこの桟橋のことを、『美砂子桟橋』と呼ぶようになっていた。
 いつか@@@

 横向きになって楽しそうに座るのが『美砂子座り』だった。初めてこの座りに御目にかかったのは、2度目か3度目のドライブでのことだった――少なくとも、最初のドライブでは美砂子はさすがに遠慮して慎んでいたのだろう。
 2度目か3度目のドライブでどこに出かけたのかは覚えていない。ただ、途中から、突然、何の前触れも説明もなしに、助手席に座っていた美砂子が身体をモソモソと動かした。
 車はどこかの海岸線沿いの国道を走っていた。
 美砂子は、背中を助手席のドアに預けると、そのまま、横向きになって座ったまま、脚を私の方に投げ出した。
 その頃までには、もう何度かベッドで抱き合う関係になっていたから、身体を見せ合ったり触れ合ったりすることには何の抵抗も無かった。スカートをはいた美砂子の、そのスカートから伸びた脚がシフトレバーをうまく避けてこちら側まで達する。私の膝の上に――正確に言うと左膝の上に2つの足首とふくらはぎの下の部分が載った。
 私は最初、あまりに驚いてしまって、ハンドルを握ったまま声も出なかった――出せなかった。車は数十キロのスピードを出したまま、走り続けている。
 やっと喉から絞り出した言葉は、
「……一体、これ、何なんだ?」
 これ、と言いながら私は顎で膝の上の美砂子の足を指した。
 美砂子は平然と応えたものだった。
「私のお気に入りの座りかたよ。だって、こうやって横に座るとあなたの顔を見ながら喋ることできるじゃない、ドライブしているときもあなたの顔を見てられるわ」


「あのね、助手席に座る人は、そんな座り方してはいけないの」
「あら、どうして?」と美砂子は笑う。
「事故になったらどうするの? 大けがするかもしれないだろう、ちゃんとシートベルトしてさ」
「あら、わたしはあなたの運転、信じてるもの、事故なんて起きないわよ」
 四半世紀以上前は、シートベルト着用の法制化などされてはいなかった。
「警察が……警察が見たら、さ、停められて注意されるかもしれない」
「大丈夫、警察なんかこんなところまで見てないから」

 実際、美砂子を助手席に載せて運転しているとき――何十回、あるいは100回以上、のべ何百時間かもしれないそれらのドライブの最中に、観光地の道路で、あるいは市街地をゆっくりと走っているとき、何度もパトカーとすれ違うことがあった。
 しかし、一度たりとして、パトカーが美砂子の横座り・美砂子座りを見咎めて、Uターンして私たちの車を追いかけてきたり、「そこの車、停まりなさい」とスピーカーで呼び止められることもなかった。
 当たり前である。
 助手席の女性の誰がいったい――美砂子を除いて――横座りになり、脚を伸ばしているなどと警察官が考えるというのだろうか?
「ほーら、ほーら」
 と、美砂子は勝ち誇ったように、愉快そうに左手を動かしたことがあった。パトカーがそのまま通り過ぎたときのことだ。左の人差し指を突き出すようにして、通り過ぎていったパトカーの方を指す。右腕は助手席のピローに軽く絡ませている、美砂子桟橋で膝の上に坐った彼女が右腕を私の首に絡ませているように。
「北海道警察も公認してくれている美砂子座りなのよ」
 そう得意気に話す美砂子に、私は渋面をつくり、大仰に溜息をつき、安全運転に支障が出ない程度に顔を横に二、三度振る。
「まぁ、この足を肩に載せでもしない限り、外から見ても何をしているのかわからないんだろうけどね」
「やってみましょうか?」とすかさず美砂子は応え、両手でピローを掴み、片脚を上げて私の肩に載せようと試みた。
 私は左手で、行儀の悪い美砂子のその足を掴んで、私の左膝の上、いつもの定位置に抑え込んだ。
 美砂子は抵抗することもなく、左手をピローから離すと、それを軽く振りながら何か別のことを機嫌良く喋り始めた。

 美砂子は、主義としてなのだろう、ジーンズは決して穿かなかった。いや、スラックスすら穿かない。常にスカートかワンピースを着ていた。だから、美砂子座りになって、ドライブ中に私の膝の上にある彼女の足は、常に、素足かパンティーストッキングの足だった。


めぐろ

 左の手と腕の動き