ページ

2013年5月15日水曜日

God against the gods

 今はKirschのGod against the godsを読んでいるけれども、面白い、ので、松田和也のバカ翻訳については保留中。
 しかし、これほど面白い・興味深い本が、日本のアホ翻訳者の杜撰な作業によって顧みられなくなってしまっているのは残念である。

 聖書を「聴いていて」、いつも不思議に思うことがある。
 旧約聖書には、永遠の生命、などという言葉は出て来ない、と思う。永遠の生命どころではない、現在、この異邦人に囲まれた土地(カナン)で「生き延びてゆくこと」に精一杯であり、死後の世界のことなどかまってられない。旧約時代のユダヤ教(まぁ、ユダヤ教では旧約なんて言葉は使わないのだが)では、死後の世界はシャイロ(英語読み)と呼ばれ、灰色の、モノトーンの、「影のような世界」でしかない。
 ところが、新約になると、永遠の命という言葉(eternal life)のオンパレード。死後の世界への希望、というか、死後の世界にしか希望はない。
 何故そんな風になってしまったのか?
 イエスが生まれる前のユダヤ民族の置かれた状況。ローマ帝国に支配される前の、セレウコス朝シリア支配下での「ギリシャ化」政策。反乱敗北、そして「呪詛」から生まれたような黙示録(ダニエル書以下)。
 バビロンに捕囚されたユダヤ人ですら「割礼」を禁じられることはなかったが、シリア支配下では割礼に対しては死刑すら適用された。ユダヤ人のギリシャ人化、ユダヤ文化のヘレニズム化、神殿でのGod(Yahweh)ではなくpagan godsの礼拝。現世での希望を失ったユダヤ人にとって、この世界は忌むべきものとなり、死後の世界、復活、つまりは永遠の命、という希望が急速に広まってゆく。そしてイエス・キリストは、そうしたファリシー(パリサイ派)のイデアを持った黙示録の伝道者であり、パウロ(聖書の中で自分はファリシーであると高らかに宣言している)が「死から復活したイエス」に導かれる。ただし、ユダヤ人に対してだけではなく異邦人にも宣教を続けたパウロは、新しい宗教を打ち立ててしまう。しかしそのパウロにしても、三位一体、処女懐胎、などという概念とは無縁であり、新約聖書の中に書き加えられた三位一体の話は(アーマンが指摘するように)捏造である。

 話が逸れてしまった。
 Kirschの上の本は、一神教が優れている、といった話ではなく、そもそも聖書の中ですら最初は「複数形の神」が存在していて、考古学的にもYahwehに「妻がいた」証拠が出ていて、預言者たちが嘆いたようにイスラエルの民がgodsの魅力に打ち負かされ続けていた(harlotry)にもかかわらず、結局、ユダヤ教・キリスト教の一神教が他の神々をどのようにして打ち負かしてしまったかの、歴史的・精神史的考察である。
 この本は、もちろん、lay peopleのために書かれているので、実に判りやすく、しかも飽きさせない展開になっている。

 こんな面白い本が日本語で読めないとは、かえすがえすも残念である。
 松田和也と柏書房の罪は重い。