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2013年5月19日日曜日

バンパイアの逆説

 バンパイアの逆説という言葉がある。もっと有名ではない、恐らく私一人が使っている。
 この「逆説」を教えてくれたのは少女漫画であり、萩尾望都であり、『ポーの一族』である。

 あの漫画の中で、バンパイアの夫婦・カップルの美しい女性とクールな男性が出てくる、ほとんどチョイ役なのだが。
 美しい女性は人間の男(確か医者だった)を誘惑して血を吸おうとたくらむのだが、「姿が鏡に映らない」などのエピソードによって正体が見破られ、心臓に杭を打たれ、全身が砂のようになり、砂よりも細かい埃となり、風に吹かれて消えてしまうのである。パートナーの男は心の底から愛していたその女性が消滅したことで絶望し、彼もまた馬車事故か何かで死に、これも埃となって風に消える――消滅する。
 彼らパンパイアのカップルは、死ねば全てが消え、魂などはなく、それで終わりであることを知っている。だからこそ、今日、この一日が大切であり、愛する人間と過ごす「時間」がどれほど貴重であるかを知っている。

 ところが人間ときたら……。
 死後にも「時間」があると思っている、何らかの形で「存在」できると思っている。
 それこそが、スチーヴン・ホーキングの言う「fairy tale」であり、delusionである。
 人間ではないバンパイアこそが、「現実の人間を生きている」あるいは「人間としての現実を生きている」のであり、これが『バンパイアの逆説』というものである。

 天国もない、生まれ変わりもない、未来にあるのは、死んで砂のように跡形もなく消えてしまう人間という存在であり、ヨブ記で神は、人間を虫けら(worm)と呼んでいる。虫けらに天国も生まれ変わりもないように、人間にもそのような「次」はない。
 だからこそ、この時間が尊い、この一日が歓びである。
 バンパイアはそう思って生きる。彼らが永遠に生きるわけではなく、いつかは「見破られて」殺されて消滅する覚悟はできている。
 人間は、やがて消滅するという恐怖に打ち克つために、永遠の命という幻想に縋り、やっとどうにか心の平安を保つ。





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